杉本純のブログ

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映画『ゴリオ爺さん』を観た。

昨日、千石図書館で映画『ゴリオ爺さん』を観た。

これはバルザックの『ゴリオ爺さん』を映像化したもので、主演はシャルル・アズナヴールが担当したもの。ウィキペディアを参照すると、アズナヴールがこの作品に出たのは2004年となっているので、80歳の時に出たことになる。

千石図書館は映画を意欲的に上映しているようで、「キネマ千石通信」という映画についての情報を詰めた4ページの印刷物も発行している。7月には京マチ子を偲んで『地獄門』や『雨月物語』を上映するようで、海の日にちなんで『ジョーズ』の上映もするらしい。面白い。

さて映画『ゴリオ爺さん』だが、原作はバルザックの代表作でもあってすばらしい名作だと私は思っている。しかし、この映画はどうやらそれを十分に映像化できたとは思わなかった。

映画の善し悪しはシナリオに負うところが大きいと私は考えている。ゆえに優れた映画は第一にシナリオが優れていると思う。そして、優れたシナリオからダメな映画ができてしまうことはあるが、ダメなシナリオから優れた映画ができることはまずあり得ないと思う。たしか、同じことを黒澤明も言っていたように記憶している。

この『ゴリオ爺さん』の場合、シナリオはそんなに悪くはなかった。原作のポイントを的確に拾い、上手く凝縮して分かりやすく伝えようとしたと私は感じた。ただし、原作を読んでいないとやはり内容がわかりにくいだろうとも感じた。これはまあ、バルザックの作品だし仕方がないかなとも思った。

それに比べて、良くないのは俳優やカメラなどではないかと思った。まずカメラがやたらと忙(せわ)しない。ワンカットの間に何度もパンして人物の顔をアップで撮っていたが、落ち着きがないなぁと感じた。バルザックの作品は内装や家具調度類にもそれなりの意味を持たせているので、引きにして全体を収めればいいのではないかと思ったが、カメラマンにはそういう気はなかったようだ。

そして俳優である。女優は押しなべて巧いと思ったが、とにかくシャルル・アズナヴールが良くない。ゴリオは元は剛腕の製麺業者であり、欲の深そうな強面の爺さんを私は思い浮かべていたが、アズナヴールはいかにも甘いシャンソンを歌いそうな甘い顔の好々爺でしかなく、あれではゴリオの狂気じみた父性愛は表現できないんじゃないか。

というわけで、原作をテンポよく辿った点でシナリオはいいと思ったが、肝心の映像づくりの方で失敗してしまった残念な作品…と私は思った。