杉本純のブログ

本を読む。街を見る。調べて書く。

ホリー・ジャクソン『自由研究には向かない殺人』

設定が面白い

ホリー・ジャクソン『自由研究には向かない殺人』(服部京子訳、創元推理文庫、2021年)を読みました。

高校生の主人公ピップが、街で5年前に起きた失踪事件について高校の自由研究で調査をし、ついには本当の殺人犯を突き止めるという話です。自由研究で事件を調べる、という設定が面白かったですね。

ピップが調査の手法として用いたのはインタビューです。また、やがて犯人らしき人物から調査を止めるよう迫る脅迫メッセージが届いたりして、ミステリよりもサスペンスのような感じがしました。

またピップは、この自由研究を行う傍らでケンブリッジ大学への入学を目指して勉強もします。ところが、自由研究にのめり込み、脅迫メッセージへの恐怖もあって、勉強にはあまり身が入りません。それでも最後は自由研究の成果が大きな反響を呼び、大学側の人間をも驚嘆させたようで、ピップはケンブリッジ大学に合格します。ケンブリッジ大といえば世界最高峰の大学と認識していますが、あまり勉強しなくても入れるのかな?と思いました。

本作はシリーズ化されており、第4巻まで出ており、いずれも本作と同じ町が舞台にしているようです。一つの街で繰り広げられる複数の事件を連作で描くことには興味がありますので、全部読んでみようと思います。

沼は物書きの始まり

岡元大『まちかどガードパイプ図鑑』(創元社、2023年)を読みました。

内容は、タイトルのとおり全国の街角のガードパイプを写真付きで紹介しまくるというものです。紹介されているガードパイプは、「花モチーフ」「木モチーフ」などモチーフの種類別に分類され、さらに構造の特徴を7タイプで分けた「ルックス分類」、所在地、撮影年月日、撮影者、情報提供者の他、紹介文も掲載されています。その他、「鋼製防護柵協会」という「ガードパイプの有識者」や月刊雑誌「地図中心」編集長の小林政能との対談、ガードパイプのコラムが多数掲載され、面白い一冊になっています。

私は個人的にはガードパイプがそんなに好きなわけではありませんが、読んで思わずニヤニヤしました。

本書で紹介されている「いたばし花火GP」は近所にあり、日常的に見ているガードパイプだからです。ちなみにこのガードパイプがある交差点は、毎年夏に荒川で行われる「いたばし花火大会」を見に行く時に必ず通る場所であり、だから花火をモチーフにしたのだろうと思います。ちょっとうれしくなり、外出ついでに撮影してしまいました。

最近は「沼る」なんて言葉をよく聞きますが、沼は物書きの始まりなんだろうな、と思いました。変態的なまでに一個の物事に執着し、愛すると、やがてその中に一つの世界が見えてきて、それは際限なく広がり、深まっていきます。そして、その世界にどっぷりと「沼る」と、ゆうに本を一冊書けるくらいの情報と知見が蓄積するというわけです。

それだけではありません。鋼製防護柵協会や雑誌編集者との対談は、著者がガードパイプ道を突き進んだからこそ生まれた企画といえるでしょう。ガードパイプへの思いが新たな縁を生んだのだと思います。いうなれば沼は、生活を彩り、人生すら変革する「異世界への扉」なのかもしれません。

私も、一般の人なら誰も見向きもしない、変態的な調べ物と書き物をしていましたが、最近はちょっとお休みしていました。本書を読み、また再開したいなぁ、と思った次第です。

板橋区立美術館「シュルレアリスムと日本」

板橋区立美術館に行き、「『シュルレアリスム宣言』100年 シュルレアリスムと日本」を見ました。

私はシュルレアリスム作品の良い鑑賞者ではない

シュルレアリスム宣言』とは、フランスの作家アンドレ・ブルトン1924年に発表した著作です。私は以前、フランス文学者の巌谷國士が訳した『シュルレアリスム宣言・溶ける魚』(岩波文庫、1992年)を持っていましたが、ついに読まずじまいでした…。なお私の以前の同僚に巌谷に大学で教わったことがあるという人がいました。その話を聞いた時は、へぇーと思ったものです。

さて、シュルレアリスムとは日本語ではたしか「超現実主義」というはずです。ブルトンの『宣言』にはシュルレアリスムの定義が記されているらしいですが、私は漠然と、非現実的な風変わりな作風の絵や文学作品、というくらいにしか理解していません。

私は昔、澁澤龍彦に惹かれていましたし、ダリの絵もけっこう好きですし、『アンダルシアの犬』も観ましたし、ランボオの「イリュミナシオン」には心打たれました。とはいえ、シュルレアリスムとはその程度の関わりしかなく、ワナビをこじらせた挙げ句、私小説などの、どちらかというと「リアリズム」の方に強く傾倒していったので、シュルレアリスム作品の良い鑑賞者とはいえません。

絵は好きなように観ていい

でも、今回の企画展、率直に言って面白かったです。

靉光「眼のある風景」、杉全直「跛行」、福沢一郎「他人の恋」、山下菊二「新ニッポン物語」、桂ゆき「土」など、良かったですね。

ただ、全体的にはやはり「暗い」という印象を受けました。大半の絵は、作者は神経を病んでいるのでは?と思わせるものでした。

現代人は情報の海の中で脳と眼が疲れていますが、百年前の人々は帝国主義とか、共産主義とか革命とか、喧しいイデオロギーと暴力に疲れ切っていたんじゃないかな、と漠然とですが感じました。

画家たちは、乱暴で鈍感な世の中にあって、繊細な感性と技術を活かして自分の世界を構築しようと必死だったのでは…と。私のそんな推察が少しでも的を射ているのであれば、やはり藝術家や作家というのはいつの世でも生き方は同じなのでしょう。

とまぁ、自分の好き勝手に読み解いた企画展でしたが、絵画というのはそういう向き合い方でいいと私は思っています。

企画展は4月14日まで。

鳥山明先生の思い出

漫画家の鳥山明先生が亡くなりました。68歳。この時代に68歳は早すぎるように思いますが、やはり、人生いつ何が起こるかわかりませんね。

鳥山先生の影響

さて、鳥山先生といえば、「Dr.スランプ」「DRAGON BALL」の作者であり、「ドラゴンクエスト」「クロノ・トリガー」のキャラクターデザインを担当したことでも有名です。いや有名どころか、漫画家としては世界にその名が知られていますし、私は少年時代に鳥山先生の世界で育ったようなところがあります。

とはいえ、私は「Dr.スランプ」はろくに読んでいませんし、アニメもところどころ拾うように見ただけでした。それでも鳥山先生の世界で育ったとすら思うのは、ひとえに「DRAGON BALL」の存在があるからでしょう。

DRAGON BALL」は、マジュニアが出てきた辺りから本格的に「ジャンプ」で読むにようなりましたが、敵がどんどん強くなっていき、それにつれて主人公たちも際限なく強くなっていくという、いわゆる「強さのインフレ」を目の当たりにしました。

この強さのインフレは、多分に中二病心を刺激するものを持っていたと思われます。また、以後のバイオレンスアクション漫画にも色濃く引き継がれていったとも感じます。

私は、強さのインフレが発生するアクション漫画に少年期に多く触れたことが、自分の精神形成に少なからず影響を与えた気がしてなりません。

その影響は、「仲間を守りたいと思うようになった」「諦めず努力するようになった」といった前向きな変化ではなく、「俺は無敵」「俺には世界を変える力がある」という、イタい中二病を発症する形で現れたように思います。これは、鳥山先生の漫画が子供に悪い影響を与えるものだったということではなく、少年期の私の心根がかなり歪んでいたということでしょう。

良い読者ではないけれど…

私は「FINAL FANTASY」はやりましたが「ドラクエ」は本格的にはやっておらず、「クロノ・トリガー」もきちんとやっていません。そう考えると、私は決して鳥山先生の世界に十分にひたったわけではなく、とうてい、良い読者とはいえません。

それでも、前述のとおり鳥山先生は私にとって大きな存在だったと思えるのです。

バルザック『あら皮』

バルザックの長篇小説『あら皮』(小倉孝誠訳、藤原書店、2000年)を読みました。

私はバルザック作品を不定期で一作ずつ読んでいます。バルザックの代表作である本作のことは、何年も前に霧生和夫『バルザック』(中公新書、1978年)で知って以来、ずっと読みたいと思っていましたが、今回やっと読むことができました。

本記事では、『あら皮』を紹介しつつ、本作を現代的な感覚で読んだ感想などをつらつらと書きます。

バルザックの自伝的作品にして初の成功作

長篇『あら皮』は、1831年に刊行されました。バルザックはそれ以前にも小説を発表していましたが、実名で出版したのは1929年刊行の『ふくろう党』が最初であり、名のオノレと姓のバルザックの間に「ド」をはさんでオノレ・ド・バルザックとして発表した最初の作品がこの『あら皮』なのだそうです。

霧生和夫『バルザック』によると、本作は初版刊行の3週間後には再版の契約が結ばれたとのことで、バルザックの最初の成功作となったようです。

本作の主人公はラファエル・ド・ヴァランタンという下級貴族ですが、ラファエルは作者バルザックの分身といわれており、下宿の屋根裏部屋で貧乏生活を送りながら『意志論』という哲学論文を書いたことなどからも、バルザックの実人生と重なる部分があります。つまり、『あら皮』はバルザックの自伝的作品…ないし自伝的要素を持った長篇小説といえるでしょう。

『あら皮』あらすじ

『あら皮』は全三部構成の長篇小説ですが、第一部と第二部が時間にして一日足らずであるのに対し、第三部は半年もの期間のことを描いています。ざっと以下のような内容です。

護符(第一部)

青年貴族ラファエルは、人生に絶望して自殺しようとしますが、立ち寄った骨董屋の老主人から、商品の一つである「あら皮」を受け取ります。このあら皮は、オナガーというロバの一種のなめし皮で、裏にはサンスクリット語(実際の文字はアラビア語らしい)で、あら皮は所有者の望みを何でも叶えるが、叶えるごとに皮は縮まっていき、それと共に所有者の命も縮まる、といった主旨の文章が刻み込まれています。

なお「あら皮」は漢字で書くと「麤皮」で、東京や神戸にそういう名前のステーキ店があるようですね。

あら皮を手に入れたラファエルは、骨董屋を出た直後、友人に出くわしターユフェールという銀行家の宴会に誘われます。盛大な宴会に出たいという自分の願いの一つがさっそく実現し、驚きます。そして宴会でエミールという友人に会い、自分の過去を語り始めます。

なお銀行家ターユフェールは元医学生で、かつて殺人を犯したことのある人物です。殺人の経緯は短篇「赤い宿屋」に書かれているのですが、『あら皮』では触れられません。知っている読者のみが「人間喜劇」の奥深い世界を味わえます。

つれない女(第二部)

ラファエルは早くに母を亡くし、厳しい父に育てられました。その父の死後、下宿屋の屋根裏部屋を安く借り、貧乏生活をしながら『意志論』という論文めいた書物を著します。下宿屋の主人にはポーリーヌという娘がいて、ポーリーヌはラファエルを慕い、精神的な支えにもなってくれます。

その後、ラファエルはラスティニャックという男と出会い、社交界の花形であるフェドラという伯爵夫人を紹介されます。このフェドラがかなりの曲者で、常に態度がはっきりとせず、ピュアなラファエルを心を翻弄してしまいます。ラファエルはフェドラに振り回されたあげく憔悴し、浪費や放蕩をしたのち、絶望して自殺を思い立ったのです。これが小説の冒頭にあたる箇所です。

宴会が終わった翌朝、ラファエルは伯父の莫大な財産を相続することになります。しかし、あら皮は縮まってしまい、ラファエルの命も残りわずかであることを示していました。

死の苦悶(第三部)

ラファエルは裕福になったものの、何か願えばあら皮と共に寿命が縮むの恐れ、世間と隔絶してジョナタースという老従僕と静かに暮らしていました。

その後、劇場で再会したポーリーヌと暮らすようになり、幸福な時間を過ごしますが、あら皮は縮み続けます。ラファエルはあら皮の縮小を食い止めようと、高名な科学者に依頼します。しかしどの分野の学者にもあら皮の解明や縮小の阻止はできません。衰弱したラファエルは医師の勧めに従い、温泉地に行って療養に努めることになります。

オーヴェルニュ地方の温泉地の情景はまことに美しく描写されており、この世の楽園を思わせます。ラファエルはこの地で夢を見ているような気分で過ごすが、健康状態は回復しません。

その後パリに戻り、ポーリーヌと再会すると、ラファエルは激しくポーリーヌを求めますが、これが最後の欲望となり、ついに息絶えます。

だいぶ端折りましたが、おおむねこのようなストーリーです。

ラファエルは今でいう「こじらせ」か

『あら皮』は、魔術的な力を秘めた「あら皮」を手に入れ、その力でさまざまな欲望を成就させるものの、それと引き換えに残りの命を奪われるという、「悪魔に魂を売り渡す」式の、昔話風のエンタメ小説になると思います。しかし実際は、富、地位、愛などを得て、つまり「人生に勝利することに渇望した才能ある青年が、ついに不遇なまま人生を終えることになるという、一種の悲劇ではないかと私は思います。

この小説は、現代的な感覚で読むこともできる気がします。

まず、自分の才能を信じ、貧乏に耐え、『意志論』という哲学的論文を書くラファエルは、今でいう「こじらせ」ではないでしょうか。

幼時から愛に飢え、何者かになりたいと強く願い、極端ともいえる禁欲と勉学を自らに課し、悶え苦しみながら、地位、富、愛やアイデンティティの確立をも成就させるはずの大勝負に賭けるのです。その背後には数えきれないほど蓄積した憤懣があるはずで、ラファエルのこういう姿は、こじらせワナビに通じるものがあるように思います。

この、こじれにこじれまくった欲望や観念は、きれいに解きほぐせないこともなかっただろうと私は思います。しかし、まぁ…あら皮に手を出した時点でラファエルの運命は決まっていたわけで、最後は非業の死を遂げる方が小説としても面白いのは確かですね。

もう一つ。社交界の人気者でラファエルを曖昧な態度で翻弄するフェドラは、いわば「ツンデレ」で、デレの面は描かれていませんが、恐らくそんな女なんだろうと思います。

これは単なる想像ですが、フェドラは自分に何でも尽くしてくれる男を求めて社交界をさまよう寂しい女で、資産のポートフォリオでもつくるかのように、何人もの男を自分の信者として保有することばかり考えている気がします。恐らくフェドラには自分の考えなどなく、社交界でマウンティングできるポジションを獲得することを習慣のようにして生きているのではないでしょうか。

ラファエルは、そういうフェドラに振り回された、ピュアで、愚かで残念な青年の一人だったわけです。まぁ、小説的にお誂え向きといえばそうなのでしょう。

解説がありがたい

読んでいる最中、私は本作にやや不満を感じていました。この小説の文章はあまりに思弁的かつ抽象的で、ストーリーの進行は辛うじてわかるものの「起伏」の方はかなり捉えにくくなっているからです。

そういう部分がこの作品の「古さ」なのかと思ったものですが、不思議なことに、読後感は重厚かつ充実していました。

本書の巻末で宗教人類学者の植島啓司とフランス文学者の山田登世子が対談しており、植島が「最初のニ、三頁を読んでやめようかと思いました。(中略)でも、結局のところ、すごくおもしろかったですよ」とか、「こういう迷路に入り組んだような文体というのは、三十年ぶりぐらいに読んだ気がします。ただ読みはじめの抵抗感とは裏腹に、読みはじめたら、非常におもしろく読めました」と言っているのですが、まさにそんな感じでしたね。

ただしそれは、訳者の小倉孝誠による解説のおかげかもしれません。解説を読み、ストーリーの構造や作者の意図、読む上でのポイントなども整理されたことで、読後感がずっしりとしたものになったように思います。

やはり、私のような素人が古典的作品に素手で立ち向かうのは賢明とはいえません。解説という道案内があればこそ、作品世界を深く味わえるのでしょう。

板橋区立郷土資料館特別展「いたばしの富士山信仰―富士講用具と旅した人びと―」

富士講」に関する資料を多数展示

板橋区立郷土資料館に行き、特別展「いたばしの富士山信仰―富士講用具と旅した人びと―」を見ました。

富士山信仰とは、言葉の通り、富士山を信仰の対象とし、崇拝し、参詣することなどを指します。山岳信仰の一種で、江戸時代から昭和時代まで、庶民の間で行われていたといいます。富士山信仰をする庶民の集団を「富士講」といい、江戸時代後期には「江戸八百八講」といわれるほど多くの富士講が江戸近郊にあったのだそうです。

今回の企画展は、富士山信仰そのものを紹介しつつ、板橋区内にあった富士講で使われていた道具などを展示していました。昭和時代まで民衆の間で行われいたこともあって、多くの資料が残っており、関係者の写真もあって、活動の様子が窺えました。面白く、かつ勉強にもなりました。

庶民が実践した信仰の形

富士山信仰は、長谷川角行(かくぎょう)という人が江戸時代の初期に教義化し、その教えを継いだ食行身禄(じきぎょうみろく)が富士山の烏帽子岩に入定(にゅうじょう)をした後、富士講が興隆して庶民に広まっていったのだそうです。入定とは、苦行の果てに死んでミイラ化するのを指すとのこと。

板橋区にはかつて「永田講」「山万講」「丸吉講」といった富士講があり、区内各地に富士山を模した「富士塚(ふじづか)」が築造されました。富士講は現在は残っておらず、富士塚も今では利用者はいませんが、江戸から昭和にかけて庶民の間にそういう形の信仰があり、実践されていたというのは興味深いですね。

中でも私は、板橋区の赤塚地域にあった丸吉講を前身とする「東京成増宝元講」の先達(講のリーダー的役割)を務めた田中善吉という人が面白いと感じました。田中は成増3丁目で豆腐屋を営んでいた人ですが、熱心な宗教家であり、自宅に浅間神社(富士山信仰の神社)を建立したのだそうです。すごい人ですね。ふと、この人に関する小説を書いてみたいなぁと思いました。

ちなみに、板橋区内の富士講のことは以前このブログでもブログでも書きました。その記事は、芥川賞作家の黒田夏子の「山もどき」という作品が富士塚に関する内容だったことに絡めて書いたもので、自分の家の近くにも富士塚があることを書きました。

東京の変貌を物語る特別展

今回特別展を見て、板橋の富士山信仰が昭和まで続いていたのを知りましたが、私は地元の知人から富士山信仰について聞いたことはありません。元より知人には板橋出身者がそう多くないし、板橋出身者ですら富士山信仰を知っている人は少ないのでは?と想像します。

つまり今回の特別展は、ある意味では東京という街が近代から現代にかけて大きく変貌したことを物語っている気がします。

板橋区立熱帯環境植物館「熱帯雨林ボルネオ生命の森 -阿部雄介写真展-」

命の饗宴

板橋区立熱帯環境植物館(グリーンドームねったいかん)に行き、開催中の企画展「熱帯雨林ボルネオ生命の森 -阿部雄介写真展-」を見ました。

阿部雄介さんは、ライフワークで熱帯林や野生動物を撮影しているフォトグラファーです。阿部さんの写真は、以前もグリーンドームねったいかんで展示されたことがありました。

今回の写真展もよかったです。私は写真のプロではないし、ボルネオに詳しいわけでもありませんが、生命の力とか尊さとかを写真を通して感じられたような気がします。

熱帯林に生きる動物、虫、花、樹木の多様さと力強さ、そして恐らく生き残るための戦略でもあるのだろう、華やかさと美しさ。月並みな表現ながら、まさに命の饗宴といった感じを受けますね(褒めすぎ)。

写真展は2月25日(日)まで。興味のある方はぜひ見てみてください。

学生以来、海外には憧れだけを募らせてほとんど現地に行ったことはなかったですが、やっぱり行きたいなぁ。ボルネオ行きたい。二十代の頃に行けばアクティブに色んなところを回れたでしょうけど、今だからこそ感じられることも多いと思います。