杉本純のブログ

本を読む。街を見る。調べて書く。

ニュース砂漠

こないだのNHKクローズアップ現代は、苦境に立たされている地方新聞の奮闘を取り上げていて、考えさせられた。

地方新聞が廃刊になってしまった地域は「ニュース砂漠」となり、住民同士が地元の話題を共有する機会がなくなって、それゆえか、投票率が低下し選挙に立候補する人も減ってしまう、などという事態になっているらしい。地方紙は起死回生を図り、読者から日常生活の中の疑問や意見を募集して取材を行ったり、地方紙同士で手を組んで従来よりも多角的なニュースを届けるなど、色んな挑戦をしているようだ。

見ていて漠然とながら感じたのは、起死回生の新たな策が、どうも新聞社という「会社」の存続を前提に考えてられている、言い換えれば新聞記者の「勤め先」と「給料」を持続させることを前提に考えられているのではないか、ということだ。

そもそも、読者から寄せられた疑問や意見にメディアが答えるのは以前から普通にあったことなんじゃないか、と思う。一方で、読者が気づきもしない問題に切り込み、世に問う役割もメディアにはあるんじゃないか。偉そうに言うけれど、それがジャーナリズムの本来の使命であり、存在意義でもあるように思う。それを「会社」の存続や利益を優先させたからか(?)、読者の声にも耳を貸さず(だから今になって慌てて聞くようにした?)、あるいは変に大衆迎合して当たり障りのない報道をしていたことの方が問題だったので、それなら廃刊になって当然だったんじゃないかとも思う。

なんとなくだが、苦境に立たされたから仕方ないので読者の目線まで下りてきた、という風に見えてしまった。ジャーナリズムを実践してメディアの使命を果たしたい、と記者本人が切に願うのであれば、題材はいくらでも見つかるだろうし、極端に言えば会社が存続しようがするまいが自分の意志一つでいくらでも発信できるじゃないかと思う。

もちろん、記事は読まれてなんぼ、誰も読まないのは寂しいが、一人でも書き続けてやる!くらいの気概も必要じゃないか。そんな風に思った。