杉本純のブログ

本を読む。街を見る。調べて書く。

根無し草

原武史の『レッドアローとスターハウス』(新潮文庫、2015年)の第十三章「『ひばりヶ丘』から『滝山』へⅠ」に、元久留米町長の藤井顕孝の言葉を引用している箇所がある。

団地の人は、別に久留米町がいい。久留米町に住みたい。といって移住してきた方とは違うんですヨ。ただ申込んだ団地が抽選で当たって、引っ越してきたといういわば根無し草とでも見られる町民です。

この箇所を読んで、団地育ちの私は何とも言えない気持ちになった。

私自身、愛知県のある市の団地に生まれ育った人間であり、自分も家族も二十年くらい前にその街を出てしまい、およそ出身地の「地縁」というものと縁遠い生き方をしているからだ。地縁から縁遠い生き方、というのはつまり根無し草そのものではないか。

ただし、今も私は団地に住んでいるが、ここではうっすらとではあるが地縁が育まれつつある。もっとも分譲型の団地なので、住民には長年住んでいる人が多いからだろうと思う。

そもそも私には、この街に住みたい、という意識が薄く、学校とか勤め先とかがそこにあるから、という理由で居住地を選んできた。親が愛知県の団地に住んだのは、上記引用の藤井の言葉通り、まさに抽選で当たったからだろう。私は生い立ちからして、住む地域にさほど意を注ぐ方ではなかったのだ。

もちろん、地縁と関わりの深い暮らし方をするかどうかは人それぞれであり、根無し草であるかどうかは、住む家のタイプ(団地かそれ以外の形式か)とはさほど関係がないと思う。けれども戸建住宅に比べて、団地という、抽選で当選すれば住める形式の賃貸集合住宅には、根無し草が集まりやすい性質はあるのかも知れない。