杉本純のブログ

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屈折している人

私は「屈折している人」と仲良くなることが多い。「屈折」とは、心理が複雑で言動が素直でないことだが、そういう人は人間関係が上手くいっていなかったり、仕事や人生に対しても何らかのわだかまりがあって楽しく過ごせていなかったりすると思う。それはつまり、少なからず環境との軋轢・不和があるということであり、私はそういう人に共感する部分が多いのだ。

人間、正直に生きていれば必ず環境とぶつかり、軋轢を生じてしまう。そして必ずしも自分の思うように環境を変えられるわけでもない。逆に言えば、屈折している人というのは、周囲に馴染めないながら正直な気持ちを捨てずにいるということではないかと思う。そういうところに共感するのだろう。

ただ、共感するからといって、屈折しっぱなしでいるのがいいとは思っていない。それは放っておくと、やがてこじらせてしまい、自分にとっても周囲にとっても害毒になる。しばらくは思い通りにいかないかも知れないが、環境が自分の思い通りになるよう、努力を重ねて少しずつ変えていくことだ。それが勉強だと思う。