杉本純のブログ

本を読む。街を見る。調べて書く。

書かなければ無

現実は容赦なくあなたを追い詰めてくる。あなた自身の年輪の重なりはどうということはないかも知れないが、時間の経過とともに周囲の人や組織の状況が変わり、あなたにさまざまな要請をしてくる。これにあなたは時間と労力を奪われ、あろうことか金も抜き取られる。そのことを嘆いても詮無いことで、どれだけ悪あがきしても人生は過ぎ、あなたをとことん追い詰めるのである。

時代や社会状況は絶えずあなたに意思決定を求め、それに応じてあなたは選択をし、判断して動き出さなくてはならない。あなたは寸刻たりとて休むことなく自らの足跡を刻み、履歴書を更新している。暇だろうが退屈だろうが、人生は待ったなし。悩んで迷って動き出さないなら、それが人生の選択としてあなたの伝記に書き加えられるのだ。

…というのは、「あなた」に言っているようで実は自分に言っていることだ。私自身、生活をする中で絶え間なく環境によって奪われていて、その中で自ら決定し、一歩を踏み出さなくてはならない状況にある。

今、一篇の私小説に取り組んでいるのだが、社会人生活のもろもろの義務に追われて、思うように進まない。悶々と毎日を過ごしている。これでは不味いと思いながら、迫りくる現実の要請に応えているだけで日が暮れてしまう。

これは果たして書く価値があるんだろうか、と意気阻喪することが少なくない。メモを読み返す。書き留めておいたストーリーラインをなぞって主人公の人生のワンシーンを思い浮かべてみる。

この話は決して悪くないと思う。人の共感を呼ぶはずだと思えるし、二十世紀から二十一世紀にかけて生きている一人の男が書いた人生の記録という意味でも、世に問う価値があると思える。だから書かなくてはならない。書かなければその小説は存在しないのだから。