杉本純のブログ

本を読む。街を見る。調べて書く。

みそさざい

小学校の道徳の授業に「二わのことり」という話が出てくる。主人公の「みそさざい」はある日、「やまがら」のお誕生会に行こうか、「うぐいす」の音楽会に行こうか迷う。最初は賑やかで他にも複数集まっているうぐいすの会の方へ行くが、どうも面白くなく、山奥で一人ぼっちでいるやまがらのことが気になって仕方がなくなって、ついにやまがらの方に行く。すると、やまがらが涙を流す、という内容だ。

これを知り、私はみそさざいがどうも自己本位でないこと、つまり他人の事情に振り回されてばかりいるのではないかと感じ、批判的な感情を持った。同時に、美輪明宏さんの『紫の履歴書』(水書坊、1991年)の「みそさざい」の章を思い出し、さっそく読んでみた。

『紫の履歴書』は、ずいぶん前に読んだが久しく読んでおらず、しかしこの章は印象に残って覚えていたのだ。

美輪さんの「みそさざい」は、少年時代の美輪さんが、喫茶店だが夜はゲイが集まるクラブのような店になるところでアルバイトをする話。美輪さんは、世間ではノンケを装いつつ、夜な夜な店にやってきてイチャイチャしている「隠れキリシタンのような」同性愛者を軽蔑し、「ジメジメしとした日陰を飛ぶみそさざいのような都会の恋の姿は、心身ともに嫌悪を感じた」と書いている。

なるほどこれは面白い、みそさざいという鳥は、周囲の事情に流され自分の人生を生きられない人間の比喩に用いられるんだなと思った。道徳の方は、他人への思いやり、などの主題を子供たちに感得させるための話らしいが、自分というものをきちんと持っていなければ思いやりもクソもないだろうと思う。

一方で、実際のみそさざいは名誉がズタズタだなぁ…とも思った。