杉本純のブログ

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サッカーインテリジェンス

PDCAでなくOODA

「サッカーインテリジェンス」。テレビ番組を見て、そんな言葉を知りました。

サッカーにおける知性…つまり野球のように攻守の交替が明確でないゲームにおいて、いかに瞬時に最適な判断をするか、そのためにいかに先の先を読んで動くか、という問題に関わる知性を指すようです。私はサッカーは小学生の頃に6年間やりましたが、ただボールを追っているだけのバックで終わり、ちっともうまくなりませんでした。ちなみに、私は走ってボールを蹴る遊びは好きですが、運動部の雰囲気に馴染めないためサッカーとは縁がない人間だと思っています。

さて、サッカーをしている時、当人はグラウンドのまっただ中で走り回っているわけです。しかし高いサッカーインテリジェンスの持ち主は、そこにいながら同時に、まるでテレビ中継で見るようなグラウンドの俯瞰図を頭に描いているらしい。目まぐるしく変化するゲームの状況をリアルタイムで察知し、的確な動きをしてゲームを良い方向に導くことができる、とのこと。すごい。

最近、ビジネスの世界ではPDCAを考えるのはすでに古く、常に判断と行動を繰り返すOODAをループさせていかなくてはならない、といったことをよく聞きます。それは、いうなればサッカーインテリジェンスのような感性を働かせて仕事と人生を戦っていかなくてはならない、ということではないか。

考えてみると、古代の人間とマンモスなど猛獣との戦いには攻守の入れ替えなどなかったはずです。常に判断と行動が求められ、それが生き死にを左右していたと思われる点で、OODAに近い感覚だったのではないか。それに対して農耕生活は、種や株を植え、良いと思われる育て方をした後に収穫の出来不出来という結果があり、それを元に来年の育て方を変えていたと思います。言わばPDCAを回していたのでしょう。