杉本純のブログ

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創作と「マズローの欲求五段階説」

まずは普通の生活

鈴木輝一郎先生『何がなんでも長編小説が書きたい!』(河出書房新社、2021年)の中に、「マズローの欲求五段階説」に触れているところがありました。

「小説家になるためには、まず健康と『食う寝る処に住む処』を確保しよう」と書き、続いて「マズローの欲求五段階説」を説明しています。その五つとは、下から「生理的欲求」「安全欲求」「社会的欲求」「承認欲求」「自己実現欲求」です。

そして、小説家の仕事はその五段階のうちの「承認欲求」と「自己実現欲求」を満たすための仕事、と書いてあります。そのためには、作家志望者は生理的欲求や安全欲求はきちんと充足させていなくてはならない、と。

一つ分からなかったのは、そのくだりの前には「欲求があればそこに対応する職業が生まれてきます」とあるので、普通に読むと、小説を通して「承認欲求」や「自己実現欲求」を満たそうとするのは、消費者、つまり小説の場合は読者なのではないか、ということです。しかし読者は小説にスリルや恐怖やカタルシスを求めるはずですし、上記の通り作家志望者は生理的・安全欲求をまず満たしているべき、とあるので、小説を通して「承認欲求」「自己実現欲求」を満たすのは作家志望者だということです。

とまれ、面白かったのは、それは私が最近よく考えている幸せ脳内物質の関係と似ているな、ということでした。人間が幸せを感じる「3大幸福物質」は、セロトニンは爽やかさ安らかな気持ちなど心身の健康につながっていて、オキシトシンは家族や友人などの人間あるいはペットとのつながりや愛情、そしてドーパミンはドキドキするような高揚感や興奮をもたらすものです。

マズローの欲求五段階説」でいうと、セロトニンの充足は「生理的欲求」や「安全欲求」の充足に近く、オキシトシンの充足は「社会的欲求」のそれに通じるものがある気がします。そして「承認欲求」や「自己実現欲求」は、ドーパミンの充足に近いのではないか。セロトニンオキシトシンドーパミンは下からピラミッド状に積み上っていないといけないらしく、だからセロトニンオキシトシンが不足している状態でドーパミンを出そうとすると、逆に健康を害し、人間関係を損なうらしい。

言い換えると、「生理的欲求」「安全欲求」「社会的欲求」が不足している状態で「承認欲求」「自己実現欲求」を満たそうとすると、失敗するのでしょう。まずは心身の健康が保たれた普通の生活をする、ということでしょう。

不摂生と名作

鈴木先生の本にはもう一つ面白い、また身につまされる箇所がありました。

ミュージシャンや俳優、芸人などが三畳一間の下宿やシェアハウスなどに住み、バイトで食うや食わずの生活をしながらイッパツ当てるのを目指す例はいくらでもあり、ネット配信にはM-1芸人の舞台裏番組が山のようにありますね。

私もかつては、貧乏の経験が後で生きてくるなどと思い、物書きになるにはそういう道を辿らなくてはならないと思っていたように思います。

現に、西村賢太のような例もあり、ああいう底辺を這いずり回る生き様が文士のあるべき姿のように見る向きは、私だけでなく世間にもまだあるでしょう。賢太はあれで名作を書いたわけですが、先生も書いているように、「名作を書ける人が不摂生な生活をしているからといって、不摂生な生活をしていれば名作が書けるわけではありません」なのではないかと思います。