杉本純のブログ

本を読む。街を見る。調べて書く。

純粋な動機と不純な動機

好きな女の子にアピールするために音楽をやり始める。あるいは、好きな人が読んでるから同じ本を自分も読む。そういうのは動機が不純だとして批判される向きがあるが、実はそういう動機こそ純粋な動機である…。これまでに何度か、そういう言説に接したことがあります。

その時私は、たしかにそうだな、と思いました。しかしそれから何年も経ち、今改めて考えると、やっぱりそれは不純な動機じゃないかと思うのです。

音楽が好きで、音楽をやりたいと単純に思い、楽器を始める。これこそ、混じり気のない純粋な動機ではないでしょうか。お話を読むのが好きな人が、本屋で見た面白そうな小説を読む。これも、混じり気のない動機で純粋だと思います。

一方、女子にモテたいからという理由で音楽を始めるのは、音楽に対しては明らかに混じり気があります。本を読むこともそう。

ただ、こうも考えられる。音楽を始める動機の中にある、女子に対する思いには混じり気がない。女子に注目されたい、女子は音楽をやる人に注目する、だから自分は音楽をやる、ということですね。動機が不純だと批判する側への反論としての、いや純粋な動機だ!という言説は、だからきっと女子に対する思いのことを指しているのでしょう。女子は、お金や名声に置き換えても良さそうです。

つまり、純粋か不純かという問いは、それが何に対してなのかをはっきりさせないと答えは分からないのです。まぁ、それ以前に私は、べつに不純だっていいんじゃないか、と思いますが。