杉本純のブログ

本を読む。街を見る。調べて書く。

苦しみは俺のもの。

同情も理解もいらない

昔、澁澤龍彦の『快楽主義の哲学』(文春文庫、1996年)の帯に「俺の人生俺のもの」などと書いてあったのを記憶しています。この本にはたしかそういう言葉自体は記されていなかったと思いますが、中身はたしかにそういう内容だったと思います。

「俺の人生俺のもの。誰にも渡さない」は、たしかにその通りだと思います。けれども、私は澁澤は以前はちょっと憧れていましたが今はぜんぜんそういう気持ちはなく、むしろ澁澤の嫌なところを知っているので、何が「俺の人生俺のもの」だ、と誰かが付けたキャッチコピーを通して腹が立つおかしな事態になっています。

さて「俺の人生俺のもの」ですが、その通りだとは思うものの、他人とか社会に貢献すること抜きに人生なんてない、と感じている今日この頃、そうやたらと「俺のものだ、誰にもやらねー!」と言い張るのもどうかと。たしかに人生は自分軸で生きるべきだとは思うので、基本的には賛成なのですが…。

ところで最近少し思うのは、人生の過程で味わう「苦しみ」は自分のものだ、ということです。この「苦しみ」は誰にもやらねぇぞ、と。同情などしてほしくないし、理解もされたくないと思います。いや、相手が自発的にそれをしてくれるなら、うれしいかもしれません。しかしこちらからそれを期待することなどしません。