杉本純のブログ

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鬼いろいろ

今週のお題「鬼」

久しぶりに「お題」に参加することにしました。今週のお題は「鬼」、ということで、考えるとあれこれ思い浮かびますね。一つずつ書いていきます。

程度が甚だしい=鬼

まず、最近は「程度が甚だしい」という意味でよく「鬼」が使われるようになりました。「程度が甚だしい」に「ひどい」というニュアンスが加わっているケースが多いように感じます。ゲームなどで高難度であることを示す「鬼むず」という言葉には、単にハードモードであることを超えたものがありますね。「太鼓の達人」もそう。

無理難題をふられた時、相手やその難題のことを「鬼」と言ったりします。「程度が甚だしい」と同様、これも最近のことではないかと。いずれも表現するニュアンスはほぼ同じでしょう。私の印象では、この種の「鬼」が使われるようになったのはここ十年くらいのことではないかと思います。

マンガによく出てくる

私は「鬼滅の刃」は読んでいませんが「ONE PIECE」は読んでいます。両方とも、鬼が出てくる。「ONE PIECE」のカイドウがいるのは「鬼ヶ島」で、カイドウは厳密には鬼ではないようですが、そういう位置づけと言って差し支えありますまい。そういえば昔「地獄先生ぬ~べ~」というマンガがあり、これも鬼が出ていました。

探せばもっとあるでしょうけれど、ひょっとすると、子供(特に男の子)は鬼、または鬼を倒すことが好きなのかも知れません。

憧れの対象か、忌避の対象か

「仕事の鬼」という言葉があります。仕事に情熱と精魂を傾け、自分にも他人にも厳しい人。これは決して良い意味では使われないのでしょうけれど、言われた本人は喜びそうです。

仕事が時に激しいくらいの厳しさを要求されるのは当然のことで、もしかしたら人は誰しも仕事の鬼になるべきなのかも知れません。しかし最近感じるのは、仕事の鬼たらんとする人は、実はワナビっぽい側面があるのではないかということ。自分以外の「何者か」に憧れ、それになろうとするために、自分のある部分を殺してしまおうとする。人から「仕事の鬼」と言われて喜ぶのは、自分を殺して何者かに生まれ変わることができた、と思えるからではないか。一方で、他人にも厳しくすることがどうしてもあるため、決して良い意味ではないのでしょう。八木義德に『文学の鬼を志望す』という本があります。

「鬼」という言葉から思い浮かんだことをいろいろと書きましたが、それらには何だか共通しているものがある気がします。この世のものではない、人智を超えた力を表現するために都合がいいアイコンであり、だから憧れられ、畏怖されもするのでしょう。

人は鬼を恐れ、忌み嫌いますが、一方で、しばしば鬼を必要とするのかも知れません。