杉本純のブログ

本を読む。街を見る。調べて書く。

瀬戸内寂聴の思い出

天台寺で会ったことがある

瀬戸内寂聴が亡くなりました。99歳。昨日はシドニー・ポワチエのことを書きましたが、書いている最中、思い出を書くなら瀬戸内寂聴の方がたくさんあるじゃないか、と思い書くことにしました。

私は学生時代、岩手県の「天台寺」に行き、寂聴の法話を聞いたことがあります。内容は忘れてしまいましたが、人生で関わった多くの人がもう死んだ、とかなんとか話す中で「昔の恋人ABCD」と言い、聴衆がどっと笑ったのを覚えています。たしかその日の話は『寂聴 あおぞら説法』という本のどれかに収められているはずです。

その日は寺の休憩所でお茶をいただき、飲んでいたら寂聴が来て、「あなた美味しそうに飲んでるわね」と話しかけられたのを覚えています。同じ休憩所に、ずっとうつむいている雰囲気の暗い人がいて、寂聴に人生相談をしていました。寂聴がなにやら手厳しく指摘していたと記憶しています。

私小説『夏の終り』

寂聴が多くの若者たちに向けて「青春は恋と革命」と語り、若者たちがワーっと盛り上がっている、そんな映像を見たことがあります。寂聴のいう「革命」とは「自分の今を変える」を意味するらしいですが、「恋」という言葉とセットになり、若者に大いに受けたのだと思います。

しかし私には一抹の違和感があった。寂聴が結婚後、子を捨てて男の許に走ったのはあまりに有名で、他にも『夏の終り』に描かれた小田仁二郎を含む男たちとの濃密な体験もよく知られているはずです。寂聴はそれらの体験を後悔していなかったと思いますが、かなり壮絶なものだったはずで……。「恋と革命」と聞いて盛り上がった若者たちを見つつ、寂聴自身の「恋と革命」を思って、そんなワーワー喜んで受け止めるような言葉じゃないんじゃないかな、と思いました。ちなみに『夏の終り』はすさまじい私小説です。

また寂聴は古舘伊知郎の「おしゃれカンケイ」に出演したことがあります。その中で、自分は肉を食べるし酒も飲むしで「破戒僧ですよ」と冗談半分に言って、スタジオの人たちを笑わせていたと記憶しています。そういうことを言って受けるのは寂聴の話の巧さかも知れませんが、寂聴の言葉に笑ったり喜んだりしている人の気持ちと寂聴の実人生とのギャップを思うと、可笑しい気がします。

『談談談』が面白い

対談集『談談談』は若い頃の美輪さんや、今東光とか横尾忠則とか野坂昭如も出ていて面白いです。私は寂聴の著作は全ては読んでおらず、『美は乱調にあり』や『遠い声』はぜひ読みたいと思っています。