杉本純のブログ

本を読む。街を見る。調べて書く。

休息と睡眠

知的作業をするには休息と睡眠を十分にとり、仕事に集中できるよう身辺をできるだけ簡素にすることが大切だと思う。

というのは、最近ようやく、調べ物と書き物の熱がふたたび上がってきた。それまで公私ともにけっこう慌ただしく、かといって休息もよくとれず疲れていたのか、どうも気力が湧いてこず調べ物も調べ物も思うように進められなかったが、やっと戻ってきたのだ。

生活をできるだけシンプルにしようと努め、休息と睡眠を大事にした。普段はただでさえ忙しい上、図書館の本を少しでも食指が動いたら手に取り、その結果、常に貸出制限の二十冊まで借りて、借りたんだから読まなきゃ、という心理が働いていちいち目を通していたが、徒らに興味を拡散させるのをやめて深く読むようにした。同じように、気になった番組は録画していたテレビや、好奇心の赴くまま意味なく次から次へとリンクを辿っていたネットの調べ物もブレーキをかけた。

夜はだらだら作業せず睡眠を取ることに意識を向け、日中も、疲れや集中力の途切れを感じたら無理して続けることをせず飲み物を飲んだり日光を浴びるようにしたりした。散歩をして気を紛らわせ、時には公園のベンチに座ってボーッとした。

そういう生活をずっと心掛けていたら、調べ物と書き物への意欲が増し、また以前のように集中できるようになってきた。

あれもこれも手を出し、その結果どれも形にならない、といったことは集中力について書かれたビジネス書などでたまに見かける。また経営でよく言われる「選択と集中」ではないが、一定の成果につなげたいならば、取り組むことを絞り、それに集中することが大事だろう。

そしてそれを継続するためには休息と睡眠を十分にとることが重要だ。睡眠の大切さは最近よくメディアで紹介されているが、情報の洪水の中にいる今の生活にあって、脳をきちんと働かせるには、きちんと休ませることが肝要だろう。また、疲れた時にはボーッとすると、脳のデフォルト・モード・ネットワークという回路が活発になり、思考が整理されるらしい。

思えば、二十代や三十代の頃は無茶ばかりしていた。「今しか努力できない」などと考え、疲れていようが辛かろうがお構いなしに読書や創作に取り組んだものだ。しかしあれは若かったからできたわけではない。当時も単なる無駄でしかなく、さしたる成果も結ばなかったのだ。それを思い込みで覆していたに過ぎなかったのだろう。そこには自己陶酔も混じっていたかもしれない。