杉本純のブログ

本を読む。街を見る。調べて書く。

後世に残るか。文豪になれるか。

ある人のブログに、ある日本の作家(専業ではない)が50歳を過ぎて書いた作品が現在も読み継がれている事実は、出発の遅い作家を勇気づけるかも知れない、とあった。これを読んで、考えさせられた。

作品が後世に残るかどうかは、現在筆を執っている作者には分からない。もちろん、現代の読者にも分からない。また作品が読み継がれることとその作品が優れていることは必ずしも一致しない。だから自作が後世に残るかどうかを、いま書いている作者が気にすることは無駄だと私は思っている。

これと似たような問題として、自分は後世で文豪と呼ばれるかどうか、があると思う。作品に加え、自分自身が偉大な作家として語り継がれるかどうか、である。しかしこれも成就するかどうかは後世の状況に依存することなので、考えるだけ無駄である。また作品の読み継がれることと優劣が一致しないのと同様、文豪と言われる作家が本当に偉大かどうかは分からない。「文豪」が出版社の販売戦略によって祭り上げられているケースは多いと思う。