杉本純のブログ

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「お馬鹿さん」の話

前にも書いたが、近くで見ると悲劇だが遠くから見ると喜劇、といったことをチャップリンは言ったらしい。

小説を書いて、主人公の身に起きることを悲劇的に書こうとして失敗する理由の一つは、読者からしたらちっとも悲劇ではない馬鹿らしいことであるのが分かっていないからだろう。具体的には、「お馬鹿さん」を主人公にして深刻な悲劇を書こうとした場合に、そうなる。ディーン・R・クーンツはたしか、主人公は頭脳明晰であることが望ましいと『ベストセラー小説の書き方』で書いていたと記憶するが、頭脳明晰な人が手を尽くしてなお目的達成できないと、それは悲劇になるのである。

書き手は、未熟であればあるほど、自分が書いている主人公が「お馬鹿さん」であることに気づかない。思い返すと、私が書いた小説の主人公はだいたい「お馬鹿さん」だった。。

さて、では「お馬鹿さん」を主人公にした小説はありえないのかというと、そんなことはないと思う。上に述べたことの逆を行く、つまり悲劇でなく喜劇にすればいいのではないか。「お馬鹿さん」が馬鹿なりに必死こいて活動する様子を滑稽に書けば、喜劇になるだろう。