杉本純のブログ

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「教材」としてのデフォー

高橋裕一「『教材』としてのダニエル・デフォー(1660ー1731年)―ジョナサン・スウィフト(1667ー1745年)との対比も含め―」(慶應義塾大学教職課程センター年報、2019年度)は、著者からいただいた。著者は慶應大教職課程センター非常勤講師で、法政大学大原社会問題研究所嘱託研究員でもある。

本稿は、「彼(デフォー)の構想や行動を、主に世界史教材の一つとして少し詳しく紹介することで、あえて言えば(高校)生徒が『近現代』を俯瞰的に見つめる眼を養う一助になれば、と願ってやまない」と導入部にあるように、デフォーを高校世界史の教材として役立てるよう提案するものである。切り口は当然ながら『ロビンソン・クルーソー』以外にも多岐にわたっていて、『グレイト・ブリテン全島周遊記』に見られる地理情報、歴史記述の意義の高さ、他にも『疫病年日誌』を通してペストに対する人間の感情に思いを馳せる意義などを述べている。その中のところどころに、スウィフトのことが出てくる。

面白い。なかんづく私としては、デフォーの『プロジェクト試論』を切り口とする、デフォーの金融、商業プロジェクトへの言及が個人的に興味深かった。

面白いが、内容をどれほど理解できたかというと、あまり自信がない。私自身がデフォーについてもイギリスについても知識が浅いことが一因かと思う。が、読めば読むほど、今の私たちを取り巻く社会の形成過程が述べられているように感じられ、興味は尽きない。私も高校生と同じように、もっと勉強しなきゃいかんな、と感じた。

考えてみれば、スタンダールバルザックの生涯と仕事(作品)からは18、19世紀フランスの社会の様相が窺えるだろうし、ゲーテも鷗外も教材になるだろう。もっと言えば、佐伯一麦の人生と著作から、現代日本の労働者の実態や、アスベスト禍など産業に関わる問題を抽出できるだろう。伝記的研究をする過程では研究対象の周辺や人生の社会的な背景を知る必要もある。それを本稿を通して改めて感じた。これからもずんずん調べていきたい。