杉本純のブログ

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入れ子構造

岩波文庫千一夜物語』(豊島与志雄渡辺一夫、佐藤正彰、岡部正孝訳、2004年)を毎夜、少しずつ読んでいる。これは、基本的にはシャハリヤール王にシャハラザードが毎夜、物語を聞かせるという内容なのだが、その物語の中にまた物語があり、という入れ子構造の羅列になっている。物語が終われば一夜終わるのかというとそうではなく、シャハラザードは物語の途中で朝が来るので切り上げ、シャハリヤールが続きを聞きたくなる仕掛けにしている。そしてまた夜になると語り始め、また物語の途中で朝が来て切り上げる、という流れ。

入れ子構造というと、かつてシナリオライターを目指していたという知人が、入れ子構造の連続で最後はループするというシナリオを書いたことがある、と言っていたのを思い出す。それはそれで、面白いと言えば面白いかも知れないが、入れ子はストラクチャーの一つに過ぎず、どういう話を入れ子に入れたのかが肝心なので、私は構造に心を砕くのは共感できない。

千一夜物語』にしたところで、入れ子になっていること自体はべつに大したことではない。動物やら鬼神(イフリート)やら魔法やらが次々に出てくるのが読者の目を引くのだろう。恥ずかしいことに、私はこの物語を子供向けだと長いこと思っていたのだが、そういうバージョンもあるだろうけれど、少なくとも岩波文庫はそんなことは全然ない。夫の留守中に妻が不倫したとか、王が女の純潔を汚したとか、翌朝になると殺すとか、シャハラザードは話を終えるとシャハリヤールと朝まで抱き合うとか、そんなことばかり出てくる。