杉本純のブログ

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バルザック「シャベール大佐」

年末年始はバルザックの小説を読もうと思い、連休に入る前から何にしようと思案し、その結果、中篇「シャベール大佐」を読むことにした(大矢タカヤス訳、河出文庫、1995年)。年末から読み始め、とはいえけっこう忙しかったので数日後に読了した。

ナポレオン帝政下の1807年のアイラウの戦いで頭部に重傷を負い、誤って死亡確認書が出されてしまったシャベール大佐が主人公。人生のすべてを失ったものの、底辺から這い上がって妻と名誉と財産を取り戻すべく、代訴人デルヴィルに依頼して妻と交渉しようとする。妻はすでにフェロー伯爵と結婚して子供ももうけていて、交渉は決裂し、何もかも失ったまま老人施療院に入る。

バルザックの長篇作品に見られるような、作品導入部の分厚い描写はここではさほどなく、全体に物語がテンポよく展開したように見えた。小説の主軸は当然ながらシャベール大佐と妻の駆け引きにあるが、登場人物は絞り込んであって進行に無駄はなく、劇的効果が高められていると感じた。

大矢による「訳者あとがき」には、本作のタイトルや「人間喜劇」中の位置づけの変遷が紹介されており、面白い。また、この小説は1995年時点で五回映画化されているらしく、当時としては最新の『愛の報酬』(1994年)では、代訴人が妻に提示した和解の契約書の中には大佐が二日だけ妻の身体を自由にできるという条項が加えられていることを紹介している。そしてそれは「シャベール大佐」の1835年以降の版では不謹慎とされたのか削除されたが、それ以前の版には存在したエピソードであるらしい。「つまり、大佐の要求は単に名誉や財産の問題ではなく、彼の身体の奥からの欲求でもあったわけで、それを感じ取るのは行間を読む眼力を具えた読者だけの悦びであろう」と大矢は書いている。もちろん私が読んだ「シャベール大佐」にそのエピソードはなく、私には大矢が言うような眼力は具わっていないので、訳者あとがきを読んで驚いた。今後もし新訳が出るなら、ぜひそのエピソードを盛り込んでもらいたいものである。

映画は未見なので、こんど見てみたい。なお「アイラウの戦い」についてはWikipediaに記事があるが、細かく紹介されているものの戦いを扱った作品の紹介は2002年のイタリア・ドイツ合作テレビ映画『キング・オブ・キングス』(原題『ナポレオン』)があるだけで、「シャベール大佐」も『愛の報酬』もない。