杉本純のブログ

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迷妄ほど恐ろしいものはない。

私の恩師の一人は、たしか戦前の生まれで、聞いたところによるとたいそうな「豪傑」だったらしい。柔道をやっていて喧嘩は強く、そして勉強もよくできた(早稲田卒)。本人がそう言っていたのではなく、恩師と同年の知人がそう評していたのである。

恩師は、喧嘩は強かったが弱い者いじめは決してしなかったそうで、しかし、学校に行っていた頃に一度、自分より弱い者に暴力を振るってしまったことがあった。私が恩師からその話を聞いたのは、恩師がもう六十か七十になる頃のことだが、恩師は今でも自分のその行為を悔いている、と言っていた。

私も自分より弱い人に同じようなことをしてしまったことがあり、今でも悔いている。後年、自分自身が強い者から虐められるようになり、一生消えない傷を負わされたと思っているので、それはつまり、私もそれ以前に自分より弱い人を傷つけたということだ。恩師の気持ちは、生意気ながらよく分かるのである。

喧嘩が強かろうが頭が良かろうが、弱い者を虐げるなど言語道断だろう。ある人は、学園紛争の世代の先輩からパワハラどころではない扱いを受けたそうだが(というか、人間扱いされなかったそうな)、その先輩のことを「真剣」「優秀」な人だったと言っていた。実際に成績が良かったそうだが、詳しいことは知らないものの、自分より立場の弱い人を罵倒したり人間扱いしなかったりする人のどこが「真剣」「優秀」なのかと思う。その「優秀」は、世渡り上手というほどの意味だろう。

そういうのは、一種の迷妄ではないか。私は以前、会社の上司から殴る蹴るの暴行を受けたが、これは愛の鞭だと思って耐え、自分が馬鹿で役立たずなのが悪いんだと自らを責め、周囲の人がその上司の暴力を批判しても擁護していた。その上司に褒められることがあると有頂天になってもいた。子供は自分を殴る親を、それでも愛すると聞いたことがあるが、私と上司に関して言えば、私はまったく愚かだったと言うしかない。迷妄ほど恐ろしいものはない。