杉本純のブログ

本を読む。街を見る。調べて書く。

仕事の究極の目的

たしか本田宗一郎の『俺の考え』(新潮文庫、1996年)という本に、会社の課の目的は、その課をなくすことだ、という本田の逆説的な考えが載っていた。経理でも製造でもどんな課でも、究極はその課がなくても良くなるような状態を作ることが最終目標である、ということだ。この考えは優れて本質的で、仕事は要するに課題解決を目指すのである。解決すればもうその仕事はいらない。

佐藤雅彦竹中平蔵『経済ってそういうことだったのか会議』(日本経済新聞出版社、2002年)で竹中が、それと似たようなことをケインズが言ったことを紹介している。

ケインズという学者がいました。二〇世紀を代表する偉大な経済学者ですが、彼は経済学者の仕事なんか全然大したことない公言してたんです。経済学は要するに虫歯の治療みたいなもんだ。虫歯がなくなれば、歯医者の仕事はなくなる。だから、みんなが食べていけるようになれば、経済学者の仕事なんかなくなる。

黒澤明の『醉いどれ天使』で志村喬が演じる医者が、世の中から病気(ケガ)が無くなったら医者は商売あがったりだ、とか何とか言っていたと記憶するが、要するにそういうことで、いかなる仕事もその目指すところを究極まで推し進めると、その仕事が必要なくなる、というところに行きつく。電車の運転士は毎日人を電車に乗せて安全に運ぶことが仕事だが、その本質を究極まで突き詰めれば、人が電車で移動しなくてもいいような世の中を作ることになる、か。

誰かが、どんな仕事も世界平和に貢献している、とか言っていたような。。極論だが実際その通りで、言うなれば殺し屋だって究極的には世界平和に貢献していることになるわけだ。頭がおかしくなりそうだからこの辺でやめる。