白洲正子『名人は危うきに遊ぶ』(新潮文庫、1999年)を、知人から紹介されて部分的に読んだ。
本書は白洲の随想集だが、東大寺や東大寺観音院の上司海雲について触れている箇所があったのだ。私は一時期、観音院と上司海雲について調べていた。上司には、『東の大寺』(淡交新社、1960年)などの著作がある。
東大寺観音院は当時の文化人が集まるサロンのような場所だったらしく、會津八一、入江泰吉、志賀直哉、広津和郎、小林秀雄、亀井勝一郎、棟方志功といった人が集まっていた。入江泰吉や須田剋太など若い藝術家が集まり「天平の会」という会合も開かれたようで、「天平」という雑誌もつくられていた。
その上司海雲が、小説家・上司小剣の弟だとブログで書いている人がいて、その記事を読んだ時は驚いた。二人とも奈良市の生まれだが、上司海雲は1906年生まれで小剣は1874年生まれだから32歳差になる。それだからブログ記事は信じられない、とある人に話したら、昔なら32歳差の兄弟は有り得ないことはない、と言われた。しかしwikipediaを参照すると、上司海雲は東大寺塔頭持宝院に生まれ、小剣は父が多田神社の宮司を務めていた、とあるのである。
誰か真相を知っていたら教えてほしい。