杉本純のブログ

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お金のはなし5 よき労働のために

日本人はマネーリテラシーが低いと聞いたことがあります。私はこの頃お金のことを少しずつ勉強していますが、もし、自分はお金に関する知識が足りない、あるいはお金のことを学ぶなんて程度の低い奴のすることだ、などと思っている人がいたら、考えを改め、お金を学び始める方が良いと思います。

私がお金の勉強を始めたのには理由がありまして…お金持ちになりたいとかお金が好きだとかいうわけではぜんぜんありません。お金のことを学び始めたのは、「よき労働」をするためです。

聞くところによると、徳川時代には各地を遊歴して和算を教える「遊歴算家」という人がいたそうです。だから日本国民は古来より算数やお金の計算が得意だったそうですが、近代に入り、工業化が進んで工場労働者が増え、毎日会社へ出て働いて帰るだけの暮らしをするサラリーマンが増加したために、算数が不得意に、ひいてはお金に関する感覚も鈍くなってしまったとのことです。

お金のことを学んでいるなどと言うと、なんとなく「がめつい奴だ」とか「汗水流して働こうとしていない奴だ」とかいう目線で見られそうな感じがします。しかし、もともと日本人は算数が得意で、お金のリテラシーも高かったと考えれば、そういう目線を向けてくる奴こそ、高度成長やバブルの時代の価値観を引きずっているに過ぎないんだ、と見ることができそうです。

高度成長やバブルなどとっくに終わり、遠い過去になっているにも関わらず、会社勤めを続けていれば安心だとか、真面目に働いていれば基本給が上がっていくなどと考えるのは愚の骨頂というもので、ちゃんと世の中とか組織に価値を提供して貢献しなくては相応のお金がもらえるようになるはずがありません。

私はお金の知識を武器にして誰かからお金に関する仕事をもらおう、などとは今のところ考えていません。ただ、この世界に「お金」というものがほぼ普遍的に流通し、生活や人生にも少なからず影響を与えているのは歴然たる事実なので、そのお金のことを学ばないと身を処していくのが困難になるのではないか、そんな風に考え、お金を学ぶことにしました。

お金を学ぶ過程では算数が必要になります。文系の私は算数が苦手ですが、上に述べた通り、お金の知識はこの世で生きていく上でどうしても必要なので、算数もある程度はやっていかなくてはなりません。

私は図々しい人間で、一石二鳥や一挙両得になることが好きですし、何かを始めたり継続したりしていく際には、それが何か副次的な効果を上げるようにはならないものか、などとよく考えます。だからもちろん、お金を学ぶ上でも、ただ金勘定が得意になるだけでなく、もっと他の効果も出せないかな…と考えてみました。その結果、浮かび上がってきたのが、小説です。

このブログですでに何度も書きましたが、バルザックの小説はドロドロの人間ドラマを描いています。そして、世界文学史に名を刻むそれらの作品は、お金の問題を抜きにしては決して成り立ちません。つまり、バルザックのようなリアルな人間のドラマを描こうとすれば、ほぼ必然的にお金の問題を扱うことになるわけです。もちろん、仮に私がリアリズムの小説を書くとして、その作品の中でお金の問題に触れなくてはならないわけではありません。けれども、作中の人物や社会の背景に家計や経済の動きが潜んでいることを把握しておくのは、小説にリアリティを与える上では大切なことだと思うのです。益はあっても、害はないはずです。

上記のような「副次的な効果」は、まぁ得られれば得るに越したことはないものです。私がお金のことを学ぶのは、あくまで、この世の中でたくましく生きていくため。

金持ちになりたくないわけではないので、お金の勉強で得た知識を使ってお金持ちになれれば、それは嬉しいでしょうけれども、お金持ちにならなくてはならないわけではなく、私としては、お金のことで必要以上に悩まなくても済むようになりたいと思っています。お金のことで悩まなくてもよくなれば、生活を心置きなく「労働」に捧げることができます。私がお金のことを学ぶのは、「よき労働」をするためです。

お金を学べば、今よりも「よき労働」ができるようになる。そんな風に考えると、お金を前向きに学べるようになる気がします。