杉本純のブログ

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「書く」幸福論

もう何度もこのブログで同じようなことを書いているが、要するに、物書きは結局ただ書いて書いて書きまくる以外に人生を進展させることはできず、幸せを摑むこともできないのだ。そんな風に思う。

お金のことを心配してみたり、この先仕事がなくなったらどうしようと不安に駆られたりすることは、歳を重ねれば重ねるほど出てくる。しかし、その不安を解消したいなら結局「書く」しかない。お金や仕事の有無が心配なのにどうして「書く」ことがその解決策になるのか、ということだが、考えてみれば理由は簡単で、物書きは「書く」ことでお金を貰うのであり、仕事というのは取りも直さず「書く」ことなのだよ。

これは実証できないけれど実体験なので自信を持って言えるのだが、物書きが生活を送る中で「書く」のを怠っていると、未来や将来を考えてもそこには現実味がない。なんとなくだが、良いアイデアも計画も「書く」中から芽生えてくるような気がして、それを怠っている時に出てきたアイデアって突拍子もなくてろくなものじゃない気がする。

物書きにとっては「書く」ことが安心できる故郷であり、我が家であり、本当の自分に出会っている時であり、すなわち至福の時間なのだ。だから、そこを離れないことが幸福で居続ける重要な要素である気がする。

幸福論めいた内容になってしまったが、人生に悩み苦しみが多ければ幸福の理屈も少しは必要になるだろう。物書きは「書く」以外にない。