杉本純のブログ

本を読む。街を見る。調べて書く。

意識は高い、行動力は低い。

二十代から自分を磨こうと勉強(読書)はガツガツやってきた。だから青春は不遇だったとは思っているが時間を無駄にしたという思いは総じてない(いや無駄なことも随分やったのだが)。

けれども決定的に不足していたのが行動で、言うなれば私は、意識だけはやたら高く、それでいて行動力が著しく欠けていたのだと反省している。

意識を高く持つことはとても大切だ。意識を高く持つとは、言うなれば視点を高く据え、高い志を抱くことではないかと思う。その高い志を達成できるよう日々コツコツ勉強することもまた、意識が高いということだろう。

しかし勉強は行動ではない。いくら勉強したところで、行動に移して学んだことを社会に実際にぶつけてみないことには何の意味もない。逆に、行動をすればそこからは読書などを通してする勉強とは違った生身の学びが得られる。行動=実学が全てではないが、実学はかなり有益な勉強と言えると思う。なにせ、行動というのは読書とは違って環境(他人や社会)と関わり、巻き込むものだからだ。

行動し、何かを達成・実現し、人生を前進させるのが大事なのであって、勉強はそのためにするものだ。作家になりたいと思って勉強ばかりしていても、実際に作品を書いて出版社の新人賞に応募して反応を確かめてみたり編集者や読者に評価してもらったりしなくては前進などあり得ないのではないか。

意識が高いということは前進への欲求が強いということで、自分を今よりも高次元に持っていきたいと願っているということだろう。それは人生を厳しくもするし、充実させもするかも知れない。けれども本当の厳しさと充実は行動してこそ得られるものだと思う。そして行動には高い意識が必ずしも求められるわけではなく、好奇心や勇気の方がずっと大切だ。

また、意識だけが高くて行動をしないままでいると、やがてそれが常態化し、仙人みたいに浮世離れしてしまって、知識も思想も現実味がなくなって浮遊してしまうだろう。

高い意識を持つのは良い。しかしそれだけでは駄目で、行動しなければ何の意味もない。このことは忘れてはならないと思う。