杉本純のブログ

本を読む。街を見る。調べて書く。

勉強と学問

最近、勉強と学問の違いって何かな、と考える機会があった。ある学習塾を訪ね、その授業の仕方も見せてもらったことがきっかけだ。学習塾は一般に、知識とか問題の解き方とかを受験の対策として子供に授ける。まさにそれをしている様子を見て、「これは勉強かも知れないが、学問じゃないんじゃないかな?」と思ったのだ。

以前このブログで、磯田道史先生が朝日新聞の「仕事力」で使った「雪だるまの芯」という言葉について書いたが、先生はそこで学校教育について「皆で同じスタンダード知識を脳内入力し、見事に入力できた人が『センター試験』で選ばれ『一流』大学に入れてもらえるゲームで、これは学問ではありません」と述べていた。このたび勉強と学問の違いについて考えてみて、ああ勉強というのは先生の言った「脳内入力」かなと思った。

もっとも先生はその後、「標準の基礎教育が重要なのは確か」とも言っていて、勉強=脳内入力を根本的に否定しているわけではないが、そういう基礎の上に立てる「学問」がその先の人生でとても大事だと言いたいんだろうと私は思った。

私はライフワークで文学や地域の研究をしているが、そこにはもう教科書などなく、従って暗記することもない。やれば誰かからポイントがもらえるわけでもないしボーナスが入るわけでもなく、動機はまったく自分の内部にしかない。「知りたい」「分かったことを成果として世に問いたい」というのが動機だ。そういう行為がきっと、学問なんだろうと思う。自ら疑問を抱き、事実を集めて新たな事実を導き出す、ということ。私はこれからも学問をやっていきたい。