杉本純のブログ

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新河岸川風土記2 浮間橋

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板橋区を横切る新河岸川について、調べたことや見聞きしたを綴り、新河岸川が支え、育む文明・文化を伝えていく「新河岸川風土記」。第二回となる今回は、隣の北区のJR埼京線北赤羽」駅に添って新河岸川に架かっている「浮間橋」について書きます。

「浮間橋」が架設されたのは1928年(昭和3年)。当初は木製の橋だったそうです。どうしてここに橋を架けることになったかというと、1910年(明治43年)に起きた荒川の洪水を機に、洪水時の4分の3の水量を流すことができる新たな川(荒川放水路)を開削することになったものの、「浮間」という場所が荒川と新河岸川の間に挟まれる形になってしまい、交通手段が渡船しかなくなったためでした。

地域の人々は、近くに駐屯していた近衛師団の工兵隊に依頼し、ここに橋を架けてもらいました。依頼に際し計6千円を拠金したとのことですが、これは現在だとどれくらいの金額になるのでしょうか。。

ちなみに、近衛師団が駐屯していた場所はのちに「国立王子病院」の敷地となり、2004年(平成16年)には「東京北社会保険病院」が設立され、同病院は2014年(平成26年)に「東京北医療センター」へと名称変更しています。

浮間橋はその後、1934年(昭和9年)に鋼板鋼桁橋になり、さらに1940年(昭和15年)に鉄橋に架け替えられました。しかし、東北・上越新幹線埼京線の建設計画に伴って再度架け替えられることになったとのことです。今の浮間橋は四代目になるわけですね。

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橋の脇に、大小二つの碑が建っています。大きい方は、最初の木製橋が完成した記念として建てられたもの。漢文が彫られていますが、その内容は上記のような木製橋架橋の経緯のようです。そして、当時の地域の人々の子孫が「浮間橋記念碑保存会」を設立し、1985年(昭和60年)に碑を今の場所に移しました。その記念として建てられたのが、小さい方の碑です。