「ギフテッド」という、先天的に平均よりも高い知能を持っている人がいて、その人は平均的な人びとに合わせて生活したり行動したりすることができない、というかとても苦しいのだそうだ。
ギフテッドの苦しさは知能の高さ・低さに起因するが、私は教養についても同様に考えていて、「ある人」は「ない人」の中にいるとかなり息苦しい思いをしてしまうのではないかと思っている。つまり、自分と環境の間に著しい知的な差異があると自分が苦しくなってしまうというのは、後天的にでもあり得ることだと思うのだ。
教養のある人は人生や生活の密度を高め、充実させて生きることができる。また、物の道理がよく分かっているので、判断も行動もおおむね合理的で早い。逆に教養の低い人は思想も生活もスカスカで、ただその日その日を漫然と生きている。教養がある人は毎日を緊張しながら高速で生きているので、漫然と生きている閑人と一緒にいるとストレスが溜まってしまう。それは当然だろうと思う。
仕事のできる人とできない人、本気で独立しようと思っている人とぶらさがり型のサラリーマンなどでも同じで、能力や意識の差が大きい場合、少数派はその環境に身を置くことがストレスになってしまう。