杉本純のブログ

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佐伯一麦と徳田秋声

佐伯一麦は高校二年の秋に金沢を旅行している。当時(今もそうかも知れないが)仙台一高には修学旅行がなかったらしく、佐伯は前期試験後の試験休みに級友と訪れたらしい。

その時、佐伯は仲間から離れて卯辰山にある徳田秋声の文学碑も訪れている。しかし佐伯が秋声の文学に深く親しむようになったのは、21歳で所帯を持ってからだったようだ。秋声の『新世帯』が、自分が持った新所帯の原型と読めたそうな。

そして『黴』は、夫婦となった男と女の感情の機微にいちいち思い当たらされながら読んだ。そこには確かに、家庭の悲惨と暗部が露わになっていたが、近代の日本人の普通の生の努力が、自己放棄にも自己暴露にも陥らずに描出されてあると感じられた。

佐伯は1996年の新潮社100年記念「新潮」7月臨時増刊号の「一頁近代作家論」で徳田秋声を担当し、そう述べている。

秋声論のタイトルは「タタキの触感」で、「タタキ」は秋声の短篇『町の踊り場』に出てくる敲き土のことのようだが、一般的な意味よりもっと深い意味があるようだ。

佐伯はデビュー作『木を接ぐ』にもタタキは出てくる、と書いている。秋声の文学は、佐伯の初期作や新世帯を考える上で重要かも知れない。