杉本純のブログ

本を読む。街を見る。調べて書く。

少年ジャンププロレタリアート

Twitterで「少年ジャンププロレタリアート」という言葉を見かけたのですが、ググってもどうもそういう用語や言説があるわけでもないようです。Twitter上で検索しても、どうやらつぶやいた人が削除したのか、もうその用例にも接することができなくなっているのですが、この言葉に、私は何か、引っ掛かるものがあるのです。

というのは、私自身が、幼少期に少年ジャンプに濃密に接して育ち、やがてクリエイティブ業界においてプロレタリアートになった人間だからで、これはどうも放っておけない言葉なのです。

そこで、以下「少年ジャンププロレタリアート」について思うところを記してみます。

思うにそれは、私のように幼少期に少年ジャンプの漫画に心を打たれ、多大な影響を受けて、その幻想を抱えたまま成人して知能・肉体の労働に従事している人、という意味を持つのではないでしょうか。

またその裏には、あまりに極端な勝利・成功のイメージないし誇大妄想を抱え、そして性的には潔癖であるなどの傾向を持つために、実社会における他人とのコミュニケーションに支障をきたしている人、といった意味も含んでいる気がします。

ジャンプといえば「友情・努力・勝利」で、特に私の幼少期にヒットしたお化け漫画といえば、「北斗の拳」、「ドラゴンボール」、「スラムダンク」、「ジョジョ」、「幽遊白書」、「ONE PIECE」などなど、枚挙にいとまがありません。それらはほぼ例外なく、主人公が誰よりも強く無敵で、苦戦を強いられつつも必ず勝利し、仲間とは固い友情で結ばれています。そして性的には潔癖とさえ言えるほど清潔です。まぁ、少年ですからね。

無敵、友人との固い友情、そして性的に清潔。そんな主人公像ないし物語の傾向に影響を受けると、どうなるか。自分は何でもできる最強の人間で、仲間と信じた奴との友情は強固で決して歪まず、といった幻想を持ち、恋愛にはあまり関心がない(あるいは異性との普通の関わり方を知らない)…そんなイメージを持つよう育っていくような気がします。

けれども実際の社会というのはもっと多様で複雑です。自分は決して最強ではないし、友情の形も曖昧で、異性と関わる場面も多い。それだから、当人は一種のコミュ障になり、思い通りにならない実生活ないし仕事人生を送ることになるのではないでしょうか。それが、少年ジャンププロレタリアートの姿ではないか、という気がします。

もちろん、他の雑誌の漫画や映画でもそういうことは起こり得ると思います。ぜんぜん比較検討しておらず、ただの雑感に過ぎません。しかしジャンプのような、パワーインフレが顕著で中毒性が高いと思われる漫画群に接した人は、そういう傾向を持ちやすいと思うのです。