杉本純のブログ

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佐伯一麦の私小説の強さ

佐伯一麦『渡良瀬』(新潮文庫、2017年)には、主人公の、決して明るく幸福だとは言えない家庭事情、特に妻・幸子との冷めた関係が描かれる箇所がしばしば出てくる。
中で、こんな箇所がある。

 車の運転も止めてしまい、家族と一緒にテレビゲームをやろうとしない拓に、「あなたが、よそみたいにふつうのお父さんだったらよかった」と幸子は口癖のように言った。確かに、時間さえあれば小説が書きたいと願っている俺は、ふつうとはいえないだろう。だが、それは幸子もわかっていて一緒になったはずだった。いつか諦めるとでも思ったのだろうか……。
 互いのことをあまり知らずに結婚してから、夫婦それぞれの考え方の違いや好みの違いがどんどん瞭かになって隔たっていくばかりだ、と溜息を吐きながら、拓は重い足取りで家のほうへと向かった。

上記引用だけを読めば、変わった趣味を持つ主人公が、妻から軽蔑されている哀しい存在に思えるのではないか。現に私は最初にこの箇所を読んだ時そう思った。

しかし、一方で主人公は妻のことを小説に書き、世間に発表して、妻から恨まれている。言うなれば業の深い夫でもあるのだ(ただし、それは『渡良瀬』単体だけを読んでも十分には分からない)。そう考えると、ただの可哀そうな夫、というのでもない。

ではどちらに最初の非があったのか、という問いは意味がないだろう。蔑み合い、傷つけ合う関係に発展してしまった夫婦の暗さを、佐伯の私小説は見せてくれるように思う。それは佐伯の私小説の一つの強さのように思える。