杉本純のブログ

本を読む。街を見る。調べて書く。

題材と力量

ホラーティウス『詩論』(松本仁助・岡道男訳、岩波文庫、1997年)の三八-四五には、次のような言葉がある。

 詩を書くなら、自分の力に合った題材を選ぶこと。そして自分の肩に何が担えるか、何が担えないか、時間をかけてよく考えること。自分の力であつかえる題材を選ぶ者は、流暢さにも配列の明快さにも欠けることはないだろう。

私は幾度か同じテーマの小説に挑戦し、幾度か挫折した経験があるが、恐らくそれは、自分の力に合った題材ではなかったからだ。

私には恨みを持っている人がいて、恨みを小説に書くことで晴らしたいと思い幾度か挑戦した。しかし、どこかで構成に無理が生じたり、心情がつながらなくなったりして挫折した。自分の持っていきたい方向に題材を持っていけず、無理矢理持っていこうとしたから破綻したのだと思う。

それは恐らく、私がまだその題材を担う力量がなかったのだ。その力量とはどういうものかというと、たぶん、恨みを晴らしたい相手を含めた作品素材に対する私の理解力である。素材同士の関係、出来事の因果関係を理解していないから、素材が自然に動き出すのを受け止めることができず、無理矢理に動かそうとしてしまうのだ。

ちなみに、これはライター仕事においても同じことが言えると思う。取材対象のことがきちんと捉えられていない場合、だいたい原稿が途中で進まなくなる。そんな経験は、これまで何度もある。