北方謙三先生の『第二誕生日』(集英社文庫、1985年)は、先生のエッセイ集。第一章「軌跡」の最初の見出し「決断」の中に、北方先生が痛切な自覚と共にワナビを脱却していく経緯がごく簡潔に述べられており、今でもときどき読み返すことがある。
北方先生は大学四年の時に同人誌に載せた作品が「新潮」に転載され、以降十年間、文芸誌に作品を出すべく奮闘した。しかし、どうも北方先生は「自分には肉声がない」という自覚があったようで、そういう言語で書く小説(純文学)と自分の資質との不適合を感じていたらしい。
その内に、エンタテインメント小説への転向の道が見えてきたが、突如として方向転換することにはやはり強い抵抗があり、一年以上、葛藤の期間が続いたそうだ。
そこでぼくがやったことは、徹底的に、自分に負けを認識させることだった。ぼくは、純文学では負けた。確かに負けた。認めたくない部分は、否応なくあった。これからだ、という気持もあった。しかし、客観的に、例えば出版社の対応などを見ていても、ぼくはすでに半分屍体であった。生きている残りの半分は、俺はまだ死んではいない、と思いこんでいる自分の気持だけだ。それは大事なものだが、純文学を続けるかぎり、その気持を生かすこともできない、とも思った。
その後、気持ちの踏ん切りがようやくついた時に一人の編集者に会い、エンタテインメント小説を書くことになる。
ワナビはきっと、自分の負けを認めざるを得ない時、先生が書いたように「半分屍体」である。残りの半分が「まだ死んでいない、と思いこんでいる自分の気持」であるというのも、多分そうだろう。生きながら死に、死にながら生きているのが、ワナビの無残な真の姿、とでも言うべきか。
最近、私は一篇の私小説に取り組んでいるのだが、それが自らのワナビ体験を元にしたもので、主人公はまさに「半分屍体」の状態で生きている。私小説のテーマは「自分の喪に服す」というものだが、生意気ながら、先生が転向を意識した後で葛藤した期間は、言うなれば自分の喪に服していた時間だったのではないだろうか。そんな風に思う。