杉本純のブログ

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時には「草枕」を思い出すべし

 山路を登りながら、こう考えた。
 智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。

漱石草枕」の冒頭だが、勤め人をしながら周囲の人を虚心に見ていると、上記二行目の四つのセンテンスのような思いに浸されてくる(なんだか仙人みたいだ…)。

最近、私が会社でけっこう長いこと一緒に仕事をした人が辞めてしまい、そんな思いを抱いた。

理窟だけで物事を考え、実行しようとすると、周囲の人の意見や思いを徹底して無視することになり、ドライな奴、冷淡な奴だと嫌われる(智に働けば角が立つ)。先輩や後輩や上司や部下に必要以上に感情移入してしまうと、自分を見失ってしまう(情に棹させば流される)。自分の思いや願望を頑なに変えず押し通そうとすると、周囲から孤立してしまう(意地を通せば窮屈だ)。とかくに会社という場は過ごしづらい。

草枕」は次のように続く。

 住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生れて、画が出来る。

会社がいよいよ嫌になると、会社を移りたいと思うようになる。会社を移ってみて、新しい会社もやはり過ごしづらいことに気づくと、藝術などをやり始める。人によっては、趣味やライフワーク、ボランティアなど社会活動に打ち込むケースもあるだろう。

これも概ね正しいのではないかと思う。だいたい、どの会社に移ったって同じようなものだ。人の指図を受け、あるいは人を指図して過ごすことになる。気の合う者がいれば合わない者もいて、多かれ少なかれ必ず角が立ったり流されそうになったり窮屈になったりする。

私は転職したのは一回だけだが、今も勤め人を続けていて、上記のような考えを持つようになった。何回転職しても懲りない人もいると思う。

一方、キャリアアップとして転職して自分のやりたいことを発展させていく人がいる。これは「草枕」でいえば、会社の仕事を「詩」や「画」のように創造的にやっている人だ。こういう例は何も現代に限ったことではない。昔だって、役所や軍隊や会社などで活躍して出世していった人はいただろう。

会社が過ごしにくいから「辞めたい」と思った人は、一度は「草枕」の一節を思い出してみて、辞めた後に行く場所が自分にとって少しでも「詩」や「画」に近づくことになるのかどうか、考えてみるといい。または給料や待遇など現実的な側面が良くなるかどうかをチェックしてみるといい。もしそうでないなら、よほど現在の会社がひどい会社である場合を除いて、簡単に辞めたり移ったりしない方が良いと思う。移ったって一緒だから。また、たとえ給料や待遇が良くなるとしても、こんどは別の側面でさらに過ごしづらくなるということもあるので、まあたいていは一緒なのである。