杉本純のブログ

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芥川龍之介について

芥川龍之介の小説は、新潮文庫に入っているものはたぶん全部読んだと思う。大学時代か専門学校時代にまとめて読んだ記憶がある。

芥川は一般的に「文豪」と呼ばれている。だからその小説はいずれも傑作に違いないと昔の私は考え、傑作だと思おうと思って文庫本を開いた。

しかし、けっきょくどれもあまり面白くはなかったんだと思う。「羅生門」は教科書でも読んだし覚えているが、他のはあまり内容を覚えていない。

三島由紀夫は『文章読本』(中公文庫、1973年(1995年改版))で「芥川氏は短篇作家としては、文章そのものよりも一種の短編小説という形式の完成者であり、西欧的概念のコントを日本に移入し、百パーセントまで成功させた作家」、「その文体には、彼本然のものから出てきたものでない、あるわざとらしさが漂っています」と書いており、私はその箇所を読んで妙に納得したものだった。

ライターの先輩の中には、ライターとして腕を磨く過程では純文学を読めと言う人がいるらしく、読むべき作家に芥川を挙げる人もいるようだ。私は、語彙力を身につけるために文学作品を読むのは良いことだと思うが、芥川を推奨するのは果たしてどうだろうか…という気もする。推奨するなら直木賞の作家を選ぶ。いずれにせよ、文章のプロの中にも芥川を高く評価する人はいるのだ。

何しろ日本には芥川賞があるので、半年に一度は嫌でも芥川の名を見聞きすることになる。だから、たとえ芥川の作品からは遠ざかってもその名は向こうの方からこちらに迫ってくる。

それは、やはり芥川が文豪たる証拠なのか…

しかし私は文豪とは思っていない。どういう経緯で「文豪」と呼ばれるに至ったか、分からないが、今こうも人気があるのは何故なのか、考えた。その結果、次の四つの理由があるから芥川は持ち上げられているのではないかと思うに至った。

1 美男子であること
2 自殺したこと
3 作品が教科書に載ったこと
4 芥川賞があること

要するに、知名度が高くなる要素と「かっこいい作家」のイメージを醸し出す要素が揃っているのだ。

1と2により、高尚で深刻なことを考えている美男作家のイメージ醸成はばっちり。加えて芥川はインテリだし、常人ではとても及ばない境地にいる人と思われる要素は十分である。

3は、具体的には「羅生門」や「杜子春」である。他にもあるかも知れない。いずれにせよ、教科書に載っていることにより、多くの日本人は芥川の作品を否応なしに読むことになる。

そして4。半年に一度必ず名前が耳目に触れるのだから、もう日本じゅうの人が芥川の名前くらいは知ることになる。その上で1と2も知れば、芥川=偉大な文豪、と多くの人が思っているのではないだろうか。私はそんな風に考えている。