杉本純のブログ

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八木義德という人

2月17日、町田市民文学館ことばらんどで開催中の企画展「世界の果てで生き延びろ ―芥川賞作家・八木義德 展―」に行ってきた。

八木義德は1911年生まれ、現在の室蘭市の出身。学生運動や自殺未遂などを経験し、「劉廣福(リュウカンフウ)」で第19回芥川賞(1944年)を受賞した。1999年死去。町田市の山崎団地に住んでいたことから町田市ゆかりの作家の一人になっていて、今年は歿後20年になる。

企画展は八木の生涯とその文学の軌跡を辿るもので、自筆原稿が多数展示され、作品と精神の変遷を細かく丁寧に伝えており面白かった。

私としては、八木に処女作を評価された佐伯一麦からの八木宛書簡(室蘭市港の文学館蔵)が毛筆で書かれていて実に美しく、八木への敬愛の情を感じさせる文面で、深く感動した。佐伯は1983年に「静かな熱」で「第27回かわさき文学賞」を受賞。その選者だった八木と1987年に会い、以来、八木宅を訪ね親しい付き合いを続けたそうだ。

企画展は、アンケートに答えると、八木の小説「宿敵」などが掲載された小冊子が貰えるとのことだったので、もちろん貰った。「宿敵」は初出誌以来の掲載とのことで、貴重な冊子である。町田市民文学館、なかなか心憎いことをしてくれる。館内には雰囲気の良い喫茶店もあり、いいところだなぁと思った。

その日は「海燕」元編集長の根本昌夫氏の講演「編集者の眼―八木義德という人」が行われた。根本氏は、八木自身が庶子であること、戦前に左翼運動に参加したこと、従軍・敗戦を経験したこと、父や故郷との軋轢と和解を文学で描いたこと、当時としては珍しい「老い」を扱った小説を書いたことなどを挙げ、八木は近現代文学の主要なテーマを扱った正統な作家、と冒頭に語った。

講演は主に八木義德と小説の「文章」を巡って進められた。根本氏が編集者として八木と接したエピソードも多数語られ、楽しかった。昔の作家は本を出すと編集者を家に招いて歓待してくれたそうで、八木もしてくれたらしい。が、今の作家はやらないとのこと。また、八木は寡作で生活は苦しかったが、室蘭から食べ物がたくさん送られてくるので食べるのには困らなかったのだそうだ。

八木が過ごした山崎団地のことは八木の作品にも書かれているらしく、興味深い。佐伯との関係もあることだし、もっと深く調べよう。

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