杉本純のブログ

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佐伯一麦と私小説

「国文学 解釈と観賞」961(2011年6月号)は「私小説ポストモダン」という特集を組んでおり、中で佐伯一麦が「私小説私小説家の間」という随筆を寄稿している。

これは、私小説を書いた過去の作家による複数の私小説言説を引きつつ、私小説と事実およびフィクションについていろいろ思索したもの。全体に取り留めがないのだが、佐伯自身この随筆の中で、私小説の概念は流動的だとか、自分には書けば書くほど私小説がわからなくなっていく、などと書いている。

私は自ら私小説とは何かなどと論じようとは思わないのだが、作者が実体験を元に書いた小説が私小説で、とはいえ小説である以上は全く事実そのままというわけにはいかないだろうと、とりあえず考えている。

佐伯は別の随筆や対談などでは、「一麦」という名は麦畑の絵を多数描いたゴッホに由来するとか、やはりゴッホが多く描いた「自画像」を描くつもりで私小説を書いている、などと述べている。私は複数の作品を読んで、佐伯にとっての私小説はこの「自画像」という言葉が最もよく当て嵌まるように思っている。