駅西側の商店街を歩いたのだが、街並みを眺めて啞然とした。私が川崎市麻生区に住んでいた頃からの変貌ぶりがあまりに激しかったからだ。
「登戸駅前商店街」は、文字通り登戸駅周辺に広がる商店街だが、JR線路の南側、小田急線の登戸駅から西の方面がかなり様変わりしていた。そちらの方はかつて、道の両側に商店が連なり、なおかつ左手の商店の裏側にもいくつもの商店もあった。その区画は三角形をなしており、それを横に貫く通路の両側にもいくつも店があって、区画全体が小規模な店舗の集合体のようだった。昼間は多くの人が右往左往し、店の種類も多彩であり、どこか人間臭い雰囲気があったと記憶している。
私は2005年から2008年まで、川崎市北部地域を中心に無料配布されていたタウン誌の会社に勤め、登戸の商店街はよく回ったし、中の店舗を取材したことも一度や二度ではない。
「アリエルダイナー」というカフェで開催した「100万人のキャンドルナイト」を取材したし、ヨシザワグループやVengaVenga登戸店(かつては駅西側にあった)にはタウン誌を届けた。他にも思い出は多数ある。
しかしその日、その三角形の区画を見てみたら、かろうじて十数店舗のみが取り壊されず営業もしていたが、その裏側は店がすべて跡形もなくなっており、さらにその隣りの区画まで更地にされていた。ただ、区画の一角にある、江戸時代に作られたとされる「北向地蔵と馬頭観音」は健在だった。
調べてみると、登戸では区画整理事業が1988年から進められており、2025年度の完成を目指しているそうだ。たしかに私が住んでいた時期にも登戸は変わり続けていた。私が映画学校に入った2002年は、小田急とJRの駅間を結ぶペデストリアンデッキもなく、JR登戸駅舎は古くて味わいがある建物だったが、次第に駅舎ができ、デッキが構築された。
川崎市の報道発表資料では、駅周辺の商業集積エリアの移転補償対応で想定を超える費用を要すること、街づくりの方向性をきちんと検討することを目的に、事業計画を変更するとのことだ。総事業費は166億円増額されるらしい。
かつて川崎市に住み、登戸の街にも少なからず関わった私としては、街が変わりゆく様子を見て一抹の寂しさを覚える。街が時代と共に姿を変えていくのは、仕方がないし、むしろ変わっていくべきだろう。だが、その記録は残してもらいたいと思う。この区画整理について、そういった取り組みはなされるのだろうか。