杉本純のブログ

本を読む。街を見る。調べて書く。

他人のエピソードで説教するクズ

私は人が武勇伝や自慢話を話し始めたら警戒するが、中には有名人の武勇伝を持ち出して私に説教してくる厭な奴がいて、そういうのはまったく相手にしないことにしている。

どういう人かというと、寺山修司は天才ですごい短歌を詠んだがお前の文学はちっともすごくない、もっと感性を磨け、とか、野坂昭如の文章に比べたらお前のなんててんでダメだね、とか、松本清張は毎日原稿用紙に向かっていたんだ、それに比べたらお前なんてぜんぜん努力してない、とかである。それらはたいてい、何かの本に書いてあったエピソードを引き合いに出して述べられる。

たしかに私は寺山や野坂や松本に比べたら感性も文章も努力も劣っているのかも知れない。しかし、そんな過去の有名人のエピソードを持ち出して私に説教を垂れる輩は、たいてい、自分ではそういうことはやっていない。ただ愚かな私に偉そうに何か言いたいだけなのである。自分が本当に実践者なのだとしたら、過去の有名人など引き合いに出す必要はないからだ。「虎の威を借る狐」みたいなものである。

そういう輩を私は相手にしないことにしている。もしくは、状況によっては「へえ。寺山はすごかったかも知れませんけど、あんたはちっとも凄くないですよね?」などと言い返すようにしている。

ワナビは、自分がなりたい何者かにまだなれてない人間であり、立場はきわめて弱い。他人のエピソードで偉そうに説教を垂れてくるクズは、自分がそのワナビよりも社会的地位が高いのをいいことに、ワナビの弱さを揶揄したり攻撃したりして優越感に浸りたいのである。そういう人とは、そうそうに縁を切る方が良いと思う。

ちなみに、他人のエピソードで「自慢」するバカ、というのもいる。かつて、ビートたけし見城徹の痛快なエピソードを持ち出して、それを自慢げに語る奴がいたが、うん、たしかにたけしや見城はかっこいいと思うけど、お前はぜんぜんかっこよくないぞ、と思った。