杉本純のブログ

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共依存する人びと

最近よく感じるようになったのは、共依存に陥っている者たちが自分の周りに意外に多いことだ。

表面的には相手を批判したり、見下したり撥ねつけたりしているのだが、よく見ると、当人は相手から頼まれたり依存されたりするのを望んでいる。期待している。相手の方はむろん当人に頼っているので依存しているわけだが、当人の方も相手に依存しているのである。

依存というと、何か良くない関係のように思われることが多い気がするが、人間には依存関係が必要だ、といったことをメンタルヘルスの人が言っていたようにも思う。だとしたら共依存というのも人間関係のあり方として当然のことなのかも知れない。しかし、上に述べたような共依存関係は不健康であると感じる。ある種の攻撃性があると思うからだ。

友人関係でもそういうのを感じることがある。例えば友人に対し、お前は俺の親友だ、とか言うけれども、実は「俺からの親愛の情」を担保に相手に色んな要求をするジャイアンのような人がいる。こういう人は、相手から頼られるのを好むし、積極的に相手を助けようとする。しかし、そういう親切行為は条件付きであり、実は相手を自分の意のままにしようとしているのである。

そういう関係を厳密に共依存と呼ぶのかどうか、わからないが、私はそういうのが嫌いで、情けをかけるなら普通に「情けは人の為ならず」と思っていればいいではないか。相手に何か要求する必要はないと思う。

とはいえ自分の過去を振り返ると、私自身、多くの人と共依存関係を続けていたと思う。相手からの要求をストレスを感じながらも受け入れ、その後は自分も相手から色んなものが貰えると期待していた。しかし、そうした期待や要求が裏切られることがしばしばあり、そのたびに相手を憎んだり、あるいは逆のことをして相手から恨まれたりした。そんなことをやっている内に、共依存になっているからいけないのだと思うようになった気がする。

しかし周りには、私よりはるかに年上ではあるが人と共依存の関係を続けている人が随分いる。