杉本純のブログ

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年齢と想像力と私小説

中野孝次の『対談 小説作法(さくほう)』(文藝春秋、1983年)の永井龍男の回が面白い。

恥ずかしながら私は永井の作品を読んだことがないため、作品に言及する箇所は飛ばして読んでいるのだが、それ以外の小説に対する見解とか、生い立ちに関するエピソードに、いちいち頷かされる。

「年齢と想像力」という見出しがついたくだりは、私小説について話している。当時五十代後半であるはずの中野が、自分の年齢と考え合わせると、永井全集は三巻と四巻の小説が「一番こたえる」と言い、三巻のあとがきにある文章を引用する。

五十二歳から、五十九歳までの八年間の作品ということになる。遅まきながら、ようやくこの頃から筆が動き出したかと思った記憶がある

続いて、一、二巻には三人称で書いたものが多いが、だんだんと「私」が増えてくる、と中野が言う。これに永井が、

私小説ってものはできれば書きたくない、勝手なことを云えば、身を売るようなところがありますからね。なるたけそういうことはしたくないと思って慎んできたんですけれども、六十五歳ぐらいから先はもう、想像力が枯渇してしまいましてね。想像力に頼って書くようなものは、年をとってくると書けないんですね。

と話している。そして、佐藤春夫は若い頃は良かったがある時期から枯渇し、谷崎潤一郎は初期の作品はつまらないが『蓼喰ふ虫』あたりの四十歳過ぎから良くなってくると言っている。

そうかぁ、そういうものなのかなぁと私は思った。五十代から筆が動き出したというのは、前後の文脈から考えると、その頃から真に迫る作品が書けるようになったという意味のように受け取れるが、だったら私はまだまだ先である。しかし、子供の頃はいくらでも湧き出てくるようだった想像力は、私は三十代にしてもう枯渇しているような気がしている。

とまれ、想像力で書いた作品はつまらなくて、私小説的な作品がいい、ということだろう。