杉本純のブログ

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深沢七郎の長篇小説

深沢七郎笛吹川』(新潮文庫、1966年)は、山梨県東八代郡石和町(現・笛吹市)出身の深沢が、地元を舞台に書いた長篇小説。

時は戦国時代の甲州(現山梨県)。武田信玄の誕生前から、息子の勝頼が死ぬまでの約六十年間の戦乱期が、この小説の時代となっている。

主人公は、甲府と石和の間を流れる笛吹川の畔にある小さな家に住む農民の一族。しかし特定の主人公はおらず、小説は、この家に住む半蔵、ノブ、惣蔵、おけい……などなど一族の者たちの、暮らしの中の悲喜こもごもを描いている。

女の方は、ボコ(子供のこと)を生んで育てて働いて、家族が幸せに暮らすことを願っているが、男の方はお屋形様(武田信虎や信玄、勝頼のこと)のいくさに参加し、手柄を立てて家来に召し抱えられることを望んでいる。だから家ではよく口論が起きる。

しかし、そんな一族内の葛藤をよそに、いくさは容赦なく一族(をはじめ甲州の農民たち)を巻き込んで行く。あげく、いくさへ出た男も残った女も、虫けら同然に殺されてゆく。こんな展開がひたすら繰り返される。

クライマックスでは、勝頼の死(すなわち武田氏の滅亡)と共に主人公一族もほぼ滅亡。ただ一人生き残った定平が、「ボコなど、もっても、もたなくても同じことだぞ」と嘆き、武田の紋どころの入った旗を笛吹川に投げ捨てる場面で終わる。

酸鼻をきわめる内容だが、文体はあくまで冷静なままである。家族を殺される主人公らの心理描写すら差し挟まれず、むごたらしい情景が淡々とと描かれるだけ。農民一族の悲劇を主軸にした戦争批判と受け取ることも可能だが、それで一括りにもできない。

安っぽいヒューマニズムに加担しない、著者・深沢七郎の厳しい人生観がうかがえる小説だと思う。