杉本純のブログ

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破綻を防ぐには

小説を書き出すまでに、梗概とか設計図のようなものをどの程度まとめておくかは、けっこう色んな書き方本で触れられている。

筒井康隆の『創作の極意と掟』(講談社文庫、2017年)の「破綻」という章には、新人やワナビは書き出す前に全体の構成を固めておく必要があると書かれている。

「時間切れだ」というので結末までの運びも考えず、とにかく書き出してしまうという作家がいる。おれには何でもできるという自信というか、プロの作家の驕りというか、筆者はこれを糾弾できるような権威ではないから何も言わないが、くれぐれも新人や作家志望者がこの真似をしてはいけないとだけ申しあげておこう。

小説のラストが破綻しているのは、あきらかに作者が作品全体のことを考えずに書きはじめたからである。たとえそうであったにしても、テーマさえはっきりしていれば結末も自ずから決まってくる筈なのだ。

しかし、ではどのていど固めるのが妥当なのか。こまごまとした描写やセリフまで固めてしまえば、それは執筆を始めているのと同じになる。

スティーヴン・キングは『書くことについて』でプロット頼みの作品には作為的でわざとらしい感じがあると書いていたし、ノンフィクションの領域になるが立花隆は『「知」のソフトウェア』でコンテが役に立たなかったと書き、しかし簡単なメモは事前につくると述べている。

何も決めずに書き出すのは愚かだが、必要以上に細かく固めてしまうのも賢明ではない、そして何がどの程度「必要」なのかは書き手によって異なる、と理解しておけば良いと思う。

私は、海図を持って海に出るように、ストーリーの大枠を頭に入れて書き出すようにはしている。しかし、天候が変わったり波が大きくなったりして遭難してしまうように、文章のディテールにはまりこんで迷走を始めてしまうことが多いのだ。

トラブルに対処した結果べつの島に辿り着くように話も展開できればいいのだが、たいていは遭難しっぱなしになって、沈没してしまう。

コンパスとか、星の位置を読み取る能力があれば遭難しても戻れるのだろうが、それは小説執筆においては何を指すのだろう。。