杉本純のブログ

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安田善次郎の伝記

北康利『銀行王・安田善次郎伝』(新潮文庫、2013年)を読んだ。

安田財閥の祖・安田善次郎(1838~1921)は、越中富山の農民の家に生まれ、20歳の時に上京。両替商として成功し、財閥を築いた。本書は、「銀行王」としての善次郎の行状を辿りながら、単なる「金貸し」や「ケチ」ではない、国家の繁栄を願い私欲を捨てて事業に打ち込んだその生き様を描いている。サブタイトルは「陰徳を積む」。「陰徳」とは「人目につかないよう、善い行いをすること」で、著者の北は、現今の金融業者は善次郎の「陰徳」を見習うよう訴えている。

善次郎の功績の多さと大きさは途方もない。安田銀行安田生命などの設立はもちろん、日本銀行の設立に関与した他、経営危機に直面した国立銀行の再建もたびたび任された。帝国ホテルの設立に関わり、鉄道事業、紡績業、不動産業(東京建物株式会社)に手を伸ばすなど事業欲は終生旺盛だったが、愛人を囲ったり派手に遊んだりはせず、毎日朝は粗食で済ませるなど、地味にコツコツと取り組む信心深い人だった。ある意味で、ビジネスマンの鑑のような人物だったと感じさせられる。

もっとも、著者の北は富士銀行(現・みずほ銀行)に勤めた銀行マンであり、富士銀行の前身は安田銀行。すなわち自社の創業者のことを書いているからか、その筆致は時に善次郎を過度に美化しているように思えなくもない。

例えば、現代の経営者は善次郎を見習え、というメッセージはしつこいほどに述べられている。また、朝日平吾という右翼の男に善次郎が暗殺される際、その場には目撃者がいなかったはずなのに、殺される様子をさも直接に見たかのように描いているのは疑問。朝日から走って逃げる善次郎を描くに際し、「薄れゆく意識の中、善次郎は最後の瞬間まで人生を諦めようとはしなかった。(前へ……前へ……)」などと書いているのは首を傾げざるを得ない。

つまり、饅頭本ではないが、「ケチ」と言われた安田善次郎の美化と伝説化の傾向をいくらか含んでいる感がある。矢作勝美の『伝記と自伝の方法』で批判されている「「翁」像」に近い。善次郎伝は他にもあるので、そっちも読まなくてはと思う。