杉本純のブログ

本を読む。街を見る。調べて書く。

古書は生もの

職場から歩いて行けるところに古書店(新刊書も売る)があると知り、昼休みに行ってきた。神保町をうろつくのがライフワークになっている私であるから、どうせ大した品揃えじゃないだろうと高を括って店に入ったのだが、けっこう良かった。メリメの『シャルル九世年代記』(岩波文庫)などは見たことがなく、文学以外のジャンルの本もあり、古本選びのセンスにも鋭いものを感じた。

しかし一冊も買わなかった。メリメの本など、買ってもいいかなと思ったが、止めた。ただ、こういう出会いをものにせず、後悔してしまうこともある。それは古書の性質のせいである。

古書は生ものだ、というのが私の持論だ。出会ったその時に買わなければ一生買う機会がないかも知れない。出会った時の決断が大切。だから生もの。

他にもいろいろある。例えば中途採用の情報がそうだ。私のかつての同僚はその頃転職を考えていて、自分好みの仕事ができる会社がたまたま求人を出しているのを知り、私に応募すべきかどうかを聞いてきた。私はすぐに応募するべきだと答えた。その時応募しなければ、もう二度と応募する機会が来ないかもしれないからだ。他にも、引越し先も新築物件でなければ生ものだし、結婚相手を考えることにもそういう性質がある。

古書の話に戻ると、今はアマゾンがあるので古書も入手しやすくなったが、それでも手に入らない本はある。私が今でも忘れられないのは、ある古書店で見つけたのに買うのを躊躇してしまい、後日行ったら売れていた深沢七郎『風流夢譚』の単行本だ(今はKindleで読めるようだからまあいいのだが)。

近所に以前建っていた集合住宅はけっこう珍しい設計だったようだが、それを知ったのは取り壊された後だった。写真撮っておけば良かったと思ってももう遅い。生ものに遭遇したら瞬時に判断するべし。