杉本純のブログ

本を読む。街を見る。調べて書く。

溝口健二の背中の傷

溝口健二(1898-1956)の戦後の代表作『西鶴一代女』(1952)の助監督を務めた内川清一郎は、京都の「松華楼」という旅館で溝口と一緒に風呂に入り、溝口の背中を洗おうとして、そこに一筋の刀傷があるのを見た。
その傷は柳の葉っぱより少し大きいもので、内川が驚くと、「女に斬られたんですよ」と溝口が言う。それを聞いた内川はさらに驚いたが、溝口はこう言ったそうだ。

「君、こんなことにおどろいてたらダメですよ、これでなきゃ女は描けませんよ」

これは溝口が54歳の時だというから、『西鶴』が公開された1952年のことだろう。女に斬られたのは1925(大正14)年のことで、溝口はその時27歳、東京朝日新聞に「日活の溝口監督 情婦に斬らる」の見出しが出ている。斬ったのは一条百合子という雇女(やとな)で、別れ話から情痴事件に発展したとの説もあるようだが、真相ははっきりしていないらしい。

以上は新藤兼人の『ある映画監督』という岩波新書に載っていることで、「ダメですよ」などとうそぶいたのは「老いたる溝口健二のポーズである」と新藤は書いている。

しかし映画を学んでいた二十代前半の私はこのエピソードに興奮し、俺もこれくらいの情痴事件が起きるくらいの間柄になるまで女と深く関わらねば、と思ったものだった。

私のこういう感情は、言うなれば、激しい人生を生きなければ真の芸術は生み出せない、などという理屈を信奉するもので、根性主義や精神論につながるものだ。もちろん今の私はこういう意志はぜんぜん持っていない。むしろ、精神論を唱えて偉そうにしている自称クリエイターみたいな連中を軽蔑している。

私の青春時代にはこんな情痴事件は一度も起きなかった。それどころか私は、青春を捧げて打ち込んだ映画を中途半端なまま抛り出して会社に就職し、組織の一員になった。

けれども、今、思う。激しい人生を生きなければ真の芸術は生み出せない、という理屈は成り立たない。私は溝口健二の作品が今でも好きだし、同じく激しい恋愛に生きたバルザックの作品も好きである。だが、激しい恋愛事件などない私には、それでも私しか経験していない人生があり、それを糧にして芸術を生み出すのは不可能ではない。むしろ、その方が真の芸術だと考えている。