杉本純のブログ

本を読む。街を見る。調べて書く。

人を育てること

新年度が始まった。
今ごろは恐らく、多くの会社で新人たちが研修を受けている。研修をする先輩や上司は、新人の知識量や意欲を測りながら自社の事業や方針、ルールなどについてレクチャーしているのではないだろうか。私も、新人や後輩にライターの仕事を教えている。

後輩に仕事を教えるのは、今ではかなり重要なことだと思っている。人に教えることは、自分の経験を客体化し、知識や技術をまとまった形にする良い機会になる。それをすることで自分の見解に偏りがあったとに気づくこともあれば、それを修正するチャンスにもできる。つまり、人を育てることで自分も成長できるのだ。

しかし私自身は、これまでまとまった形での研修や教育を受けたことがない。複数の先輩から、いわばOJTのような形でしか指導されたことがなかった。とはいえ、立花隆が『知のソフトウェア』で書いている通り、この世界には一般論が成り立たないし、OJTといっても教え方はバラバラ、かつ抽象的で精神論的でもあって、よく飲み込めなかった。肌に合わなかった、ということもあるだろう。
そんな私は自力で学習するようになり、先輩をあまり頼りにしなくなった。自腹を切って本を買い、色んな著者の色んな見解を取り入れ、仕事に活かし、成長していったと思っている。その過程はけっこう気持ちいいもので、子供の頃は勉強が嫌いで嫌いで仕方なかったが今では学ぶのが楽しくなった。

一方で、そうやって自力で獲得した知識や技術を他人に伝授しようとは微塵も考えなかった。自分で苦労して手に入れたものなんだから他人に教えてやるなんて勿体ないし、自分自身、先輩からまとまった考え方を教えてもらう機会もなかったから、どうして俺が? という気持ちもあった。私は自力に固執し、自分の技術を磨いてレベルを上げていくことに夢中になっていった。

そういう考えが変わり始めたのが、人材育成の専門家にインタビューした時だった。その先生は「他人の育成を手掛けないかぎり、自分の能力を向上させることはできない」というドラッカーの言葉を引いて、自分の成長のためには他人の成長を手助けすることが必要だと説いた。
私は最初、この意味が分からなかった。自分を磨く時間を減らして他人にプラスになることをしてしまったら、単純に損ではないかと。相手に対しても、仕事に使える手法や技をタダで教えてもらおうなんて虫がよ過ぎるだろうと。
けれど、相手が同じ職場の仲間であれば、教えることで相手の成長を促し、職場全体が成長する機会になる。それはとうぜん私自身にもプラスになる。先に述べたように、自分の経験や知識を他人に伝えることでそれらがより洗練されるという効果もある。要するに、教えるのは自分のためということだ。

もちろん、ライターのやり方に一般論はないと思う。物を書く仕事は個々の性格や状況によってその進め方が大きく異なるものと思っている。だから私は自説の押し付けを決してしない。一つの事例、一つの手法として示唆するにとどめ、後は相手の解釈と取捨選択に任せるようにする。もちろん、相手が書いたものに対し自分が下した評価は正直に言う。

かつてはライターの世界について、後輩が先輩に密着して色いろ手伝いながら教わる徒弟制度のような関係をイメージしていた。ライターや作家や記者の本を読むと、実際にそういう関係はあったように思う。そんなのもいいなと思うが、会社という組織の中では難しい面もあるだろう。私自身、ビシバシ叩くような育て方が好きではないということもある。
どんなやり方が良いかは試行錯誤して探るしかないだろうが、人を育てることは嫌がらずに続けようと思っている。