杉本純のブログ

本を読む。街を見る。調べて書く。

人間に神は必要か?

平井正穂訳『ロビンソン・クルーソー』の上巻をようやく読み終えるところである。通勤電車でのわずかな時間にしか読めないからずいぶん時間がかかるが、重厚かつ長大な小説で、読みでは十分だ。

クルーソーが島にいた期間は28年と2か月19日。この話はもちろん作者デフォーの体験談ではなく、人間がクルーソーと同じ期間、無人島に暮らしたら似たような経過を辿るかもわからない。28年という長期間に病気らしき状態になるのが数えるほど(たしか1回か2回くらいではなかったか?)なのも、ちょっとリアリティに欠けるし、あれだけ弾丸が余っているのも、時間がかかったとはいえ色んな生活手段の獲得にもだいたい成功したのも、いささか無理を感じる。デフォーは自作を物語(ストウリー)でなく歴史(ヒストリー)だと言ったというが、平井はデフォーの作は実録でなく寓話であるのを否定できないと言っている。

さて、クルーソーは島での暮らしの中で、事あるごとに神について考え、自分が生きながらえているのは神の加護のお陰だと思う。だからといってこれが抹香臭い話かというとそうでもないのだが、ではもし私がクルーソーと同じような境遇になったら、神とか仏とかに感謝するかというと、たぶん、しないだろう。色んなことがうまくいくのは運の良さと賢さのお陰だと思うだろうし、規則正しく慎ましい生活を送ったとしても、それは持続的に暮らしを営んでいく上で合理的だからであって、信仰などとは関係ないと思う。

だが、ではこの小説はつまらないのかというと、そんなことは全然ないのだ。