杉本純のブログ

本を読む。街を見る。調べて書く。

2021-08-01から1ヶ月間の記事一覧

板橋区立美術館 館蔵品展「目力展」を見た。

板橋区立美術館で8月28日から10月3日まで開催している館蔵品展「目力展」を見てきた。自画像、肖像画の他、象徴的に目を描いたものなど「目」の存在を感じさせる作品を紹介するコレクション展で、「見る/見られる」の関係について考察を促すものだ。作品は…

重度「自分病」者

年上なのに自分より幼稚で身勝手な人を見ると、ああ自分はこうはなりたくない、いやなってはならないと思う。 どれだけ年齢を重ねても、幼稚さと身勝手さが抜け切らない人というのはいる。自分が世界でいちばん聡明で物事をよく理解していて、誰よりも正しい…

テレビドラマ版「ナニワ金融道」

青木雄二の漫画『ナニワ金融道』が好きなので、中居正広主演のテレビドラマ版をレンタルショップで借りてきて見ている。 Wikipediaを参照すると、ドラマは1996年より放送され、脚本は君塚良一、演出は河毛俊作が担当している。中居正広が灰原で、桑田は小林…

調べ物という麻薬

前にも書いたが、北村薫『六の宮の姫君』(創元推理文庫、1999年)の主人公には強い共感を覚える。調べ物好き、という時点ですでに共感が大きいのだが、物語の前半、主人公が国会図書館に行って、全集が出ることになっている作家の資料をコピーするあたり、…

変な奴

北村薫『六の宮の姫君』(創元推理文庫、1999年)を読んでいる。 冒頭、物事を調べる面白さについての主人公の考えが述べられている箇所があるが、共感が強い。また、ずんずん調べると、それをどこで止めるか、が問題になることも述べられている。これも強く…

氷と水

シド・フィールド『映画を書くためにあなたがしなくてはならないこと シド・フィールドの脚本術』(フィルムアート社、2009年)を読んでいる。最初の章「映画脚本とはなにか」に、こんなくだりがある。 よい構成は、氷と水のようなものだ。氷は結晶構造を持…

黄昏のジョギング

ただでさえ仕事柄、日中にあまり体を動かさないが、コロナ禍によってさらに外出などを控えるようになっている。これはつらい。 椅子に座りっぱなしになる仕事は体に良くないらしいので、なるべく体を動かしたい。そこで、仕事が一段落した夕刻、近所を軽くジ…

研究と思索

バルザック『あら皮』(小倉孝誠訳、藤原書店、2000年)が面白い。 作品の前半、主人公のラファエルが骨董屋で「あら皮」を貰う場面で、店の主人である老人と会話をする。ラファエルは熱心に勉強をしたが報われなかった過去があるが、こんなことを言う。 「…

捨てられた漱石全集

先日、住んでいる集合住宅の廃品回収の中に、漱石全集があった。岩波のものである。 私もかつて岩波の漱石全集を持っていたが、手放した。漱石全集は大部だし、なんといっても漱石なのだからたいていどの図書館にも全集が揃っているので、わざわざ自分で持つ…

マルトリートメント

そんな言葉を最近知った。虐待とは言い切れないが避けたい、大人から子供に対する言動を意味するらしい。「マルトリ」と略して使われる。人は子供の時代にマルトリを受けていると、大人になってから心のトラブルに悩む可能性が高くなるようだ。 言うことを聞…

快適になる人、疲弊する人

先日このブログで目と脳の疲れについて書いたが、パソコンはもちろんのこと、タブレットやスマホで仕事をするのも今では当たり前になりつつある。しかも、同時にいくつもの案件が進行していて、それぞれの連絡事項の通知が随時入ってくる、といったことも当…

板橋区立中央図書館に行ってきた。

板橋区立図書館の新中央図書館は、常盤台の平和公園内に3月28日にオープンした。これまでずっと行けていなかったのだが、先日ようやく足を運んだ。 中央図書館といえば、東上線のときわ台駅から歩いて行ける場所にあったが、元は学校の校舎だったらしい建物…

目と脳の疲労

ここ数日、脳の疲れがひどい。。 パソコンに向かう仕事をしているので、自然と長時間、数十センチ四方の世界に埋没し続けることになるが、最近はこの仕事環境がよくないのではと思っている。 視界が狭い空間に限られると、目の動きが制限され、遠くを見るこ…

『あら皮』の描写

バルザック『あら皮』は長篇だが、その冒頭はバルザックの他の長篇と違い、物語の舞台となる地域を説明する分厚い描写がない。ただし分厚い描写そのものはやはりあり、それが行われるのは、自殺するつもりの主人公ラファエルが入った骨董屋の店内の珍奇な品…

蔵書派から図書館派へ

知的生活のベースとなる本を蔵書するか、図書館に頼るか、という問題がある。知的生活を送り、本をたくさん読もうとする人の多くがぶつかる問題ではないか。電子書籍の読み放題にすればこの問題は半分以上は解決されるかも知れないが、私が求める本は電子化…

ADHD

鈴木輝一郎先生の『何がなんでもミステリー作家になりたい!』(河出書房新社、2019年)を読んでいて、細かいところだがハッとさせられるところがあった。 キャラクターの履歴書を書くのを説明するのに、先生自身の小説『ほどよく長生き死ぬまで元気遺産そこ…

プラネタリウム番組「名探偵コナン 灼熱の銀河鉄道」を観た。

先日、板橋区立教育科学館に行き、プラネタリウム番組「名探偵コナン 灼熱の銀河鉄道(ギャラクシーレイルロード)」を観た。以下ネタバレあり。 宮沢賢治の世界を再現したテーマパーク「イーハトーブワールド」の銀河鉄道列車に乗ることになったコナンたち…

『あら皮』のパレ=ロワイヤル

バルザック『あら皮』(小倉孝誠訳、藤原書店、2000年)を読んでいる。面白い。これは霧生和夫『バルザック』(中公新書、1978年)には1831年発表とあり、『人間喜劇』全作品の中でも重要な作品であるとも記されている。 賭博場で持っている最後のナポレオン…

知的好奇心の矮小化

盆休みに入った。 なにしろ屋外が茹だるような暑さなので、せっかくの連休ではあるけれどあまり外出はしていない。ただし、朝六時くらいに近所の都立公園を歩くと、特に木陰はわりあい涼しくて心地よい。最近は運動不足でもあるので、朝は公園を含む近所を散…

八木義德年譜

古書店で講談社文芸文庫の八木義德『私のソーニャ・風祭』(2000年)を見つけ、ほぼ迷わず購入した。表題作は「わたくしのソーニャ」「かざまつり」と読む。私はこれまで「わたしの…」「ふうさい」と読んでいた。。 本書には「劉廣福」「私のソーニャ」「雪…

佐伯一麦「オーダーメイドのインソール」

「新潮」2021年9月号は創刊1400号記念特大号であり、複数の特別企画が掲載されている豪華な一冊になっている。 「記念エッセイ1」は「わたしの『新しい生活様式』」で、阿部和重や奥泉光や天童荒太などが寄稿し、その一人に佐伯一麦もいる。 佐伯のエッセイ…

佐伯一麦『ミチノオク』第四回 大年寺山

「新潮」2021年8月号に、佐伯一麦の連作『ミチノオク』の第四回「大年寺山」が掲載されている。前回の「飛島」は昨年11月に掲載されたので、九か月ぶりの新作ということになる。 ちなみに2021年8月は「文學界」に佐伯の短篇「うなぎや」が発表された月でもあ…

共感もほどほどに…

高野優『HSP!自分のトリセツ』(1万年堂出版、2019年)のサブタイトルは「共感しすぎて日が暮れて」である。そう。共感するのは悪いことではないが、共感し過ぎてしまうと自分の時間がなくなってしまうのである。時間は人生そのものだから、共感のし過ぎは人…

自分と徹底的に向き合う

先日、複数の同業者と話す機会があり、近ごろの自分の仕事上の課題とか、身近にいる後輩たちにどんな指導をすれば良いかとか、そもそも自分はこの先どうしようと思っているのか、将来の目標は、とかさまざまな話題について言葉を交わした。同業者たちがどん…

大堂の銅鐘

以前このブログに「板橋区の最古刹」というタイトルで、赤塚の大堂について書いた。 その境内にある銅鐘には中巌円月が撰文した銘文が載っていて、古来より風流文人の垂涎の的だった、と私は記した。記事内にその銅鐘の写真も掲載したのだが、どうやら現在の…

「舞台に立つ」

本多信一『内向型人間の仕事にはコツがある』(大和出版、1997年)を読んでいると、著者の本多さんは恐らくHSS型HSPだろうと思えてくる。しかし1997年当時、HSPは少なくとも日本では今ほど一般的ではなかったはずである。もちろん、そういう言葉がなくてもHS…

板橋区立郷土資料館 収蔵品展「板橋のねがい・いのり・くらし―民間信仰と民具・絵馬―」

板橋区立郷土資料館で7月10日から開催中の収蔵品展「板橋のねがい・いのり・くらし―民間信仰と民具・絵馬―」を見てきた。 板橋における民間信仰を題材とした展示で、「人生という旅」「四季のなかで」「年中行事」「縁切榎」といったテーマの下、物や行事に…

elaborate

先だって、第三十二回文学フリマ東京に出品した3作品(『藝術青年』『こぼれ落ちた人』『東京の家族』)を全て買ってくださった方から、それぞれの作への感想をいただいた。ありがたい。 その方は以前からの知人で、私の作品をいくつも読んでいる。長年にわ…

狂乱の時代

石田衣良『波のうえの魔術師』(文春文庫、2003年)を読んでいる。 大学を出たばかりの若い男が謎の老人に雇われ株式市場で取引を始める話だが、読んでいると、ここで描かれている投資の世界は、生き馬の目を抜く獰猛な人間たちが一瞬で大金を得たり失ったり…

後世に残るか。文豪になれるか。

ある人のブログに、ある日本の作家(専業ではない)が50歳を過ぎて書いた作品が現在も読み継がれている事実は、出発の遅い作家を勇気づけるかも知れない、とあった。これを読んで、考えさせられた。 作品が後世に残るかどうかは、現在筆を執っている作者には…