杉本純のブログ

本を読む。街を見る。調べて書く。

2020-09-01から1ヶ月間の記事一覧

北方謙三の私小説

北方謙三『帰路』(講談社文庫、1991年)に収められている短篇「なずむ歳」は、ハードボイルド小説を書く作家の「私」が、煙草をもらった男や学生時代の先輩と会話をするだけの短篇なのだが、男が仕事をして生きることの悲哀のようなものが滲んでいて、北方…

決めなくていい。2

小説を書くための心理状態の管理をいうならば、長篇であればなおさらのこと、書きすすめてゆくその日の労働がカヴァーしうる部分より遠くを見てはならない。むしろ前方のことは放っておいて、その日の労働にのみ自分を集中させうるかどうかが、職業上の秘訣…

図書館雑感2

普段使っている地元の図書館には予約サービスがあり、これを利用しまくっていることはもちろんなのだが、予約件数の制限(10冊)に達してしまってそれ以上予約できなくなることがしばしばある。これまで、そういう時はいくつかの予約を取り消して制限未満に…

赤塚地域で行われていたお月見飾り

今年は10月1日(木)が旧暦8月15日にあたるということで、板橋区立郷土資料館の旧田中家では十五夜のお月見飾りを再現している。9月26日から10月4日まで見られるというので、さっそく見てきた。 再現されていたのは、徳丸安井家と赤塚池田家のお月見飾りであ…

八木義德と吉村昭

佐伯一麦『からっぽを充たす』(日本経済新聞出版社、2009年)の「カナカナの起床ラッパ」は、吉村昭の訃報を受けて吉村の思い出を語る内容である。その前半で、吉村昭に最後に会った時のことが書かれている。1999年11月に行われた八木義德の葬儀でのことで…

バルザック「沙漠の情熱」

バルザックの「沙漠の情熱」(『知られざる傑作』(水野亮訳、岩波文庫、1928年)所収)を久しぶりに読んだ。この作品は訳注によると、初出は1830年12月発行の「パリ評論」で、1937年の「哲学的研究」第16巻において初めて書籍収録された。その後、1846年に…

バルザックの献辞

バルザックの小説はたいてい献辞がついている。どの作品も、バルザックが親愛の情を寄せる人がその対象になっていて、各作品を献辞の相手について訳注の解説だけ読むのも、バルザックの交友関係の一端が窺えて一興である。 『従妹ベット』はダンテ注釈家ミケ…

知性か教養か

細谷功『地頭力を鍛える』(東洋経済新報社、2007年)を読んでいる。これは「問題解決に活かす『フェルミ推定』」という副題がついていて、「フェルミ推定」に興味を持ったので読んでみようと思ったのだ。 「フェルミ推定」とは、実際には計算が困難な事柄を…

言語化される職人技

あるネット記事に、いわゆる「職人技」はその八割を言語化できる、ということが書いてあった。 こういう類いの言説は、近年よく耳にする。寿司の職人を目指すのに寿司屋に入って何年も修行するのはバカだ、というツイートは有名だし、現にそういう修行をして…

生意気ながら、同感。

安彦良和、斉藤光政『原点 THE ORIGIN―戦争を描く、人間を描く』(岩波書店、2017年)は、安彦先生の人生の軌跡を追う面白い本なのだが、冒頭には本書の成り立ちが先生によるマンガで紹介されている。 その中に、1970年ごろの左翼運動について先生が取材を受…

バルザックと「ノブレス・オブリージュ」

ある時「ノブレス・オブリージュ」について調べることがあり、Wikipediaを読んだら驚くべき記述があった。 この言葉は「高貴さは(義務を)強制する」という意味らしく、簡単に言えば「貴族の義務」ということらしい。私はこの言葉を仕事を通して聞いたこと…

ネタは決して離さない。

佐伯一麦の短篇「二十六夜待ち」は、河北新報の記事に想を得て書かれた小説である。そのことは、『月を見あげて 第二集』(河北新報出版センター、2014年)の「新聞記事の効用」に書いてあるのだが、『からっぽを充たす』(日本経済新聞出版社、2009年)の「…

菊池真理子『毒親サバイバル』

最近、「毒親」という言葉がひどく気になっていて、それをテーマにした小説を考えているところである。その小説とは、毒親が大学闘争の時代に青春を過ごした人で、その子である主人公が膨大な読書と調査と思索をしつつ親と熾烈な戦いを繰り広げる話である。 …

コンプレックスと阿Q

コンプレックスに逃げてさえいれば、努力をしなくても許される。しかしそれは安価な手品であり、ごまかしでしかない。 小倉広『アルフレッド・アドラー 一瞬で自分が変わる100の言葉』(ダイヤモンド社、2017年)で引用されているアドラーの言葉の一つである…

逗子に住んでいた佐伯一麦

佐伯一麦『月を見あげて』(河北新報出版センター、2013年)の「名曲喫茶『田園』」には、佐伯が脚本家の内館牧子と対談した時のエピソードが紹介されている。エピソードとはむろん、仙台市青葉区の国分町にあった名曲喫茶「田園」のことで、内館がその店の…

「阿部雄介写真展 生命の楽園ボルネオ」を見た。

板橋区立熱帯環境植物館(グリーンドームねったいかん)で開催中の写真展「阿部雄介写真展 生命の楽園ボルネオ メガダイバーシティの森」を見た。 ボルネオの熱帯雨林の動植物を撮影した写真が多数展示され、どれも美しくて力強い写真ばかりでとても面白かっ…

舟橋聖一「華燭」

佐伯一麦『からっぽを充たす』(日本経済新聞出版社、2009年)の「消え落ちた華燭」には、舟橋聖一「華燭」のことが紹介されている。 「華燭」は、結婚式披露宴のスピーチで新郎の友人として祝辞を述べる主人公が、新郎と新婦と自分の三角関係について暴露し…

「ツールの司祭」の解説

フランス文学者の水野亮はバルザック作品を多く訳しているのだが、私はそのいくつかを読んで、訳文が良いなと思いながら(良し悪しを判別できる仏語教養はないのだが…)、文庫本などの解説文が面白いとも感じていた。『ツールの司祭・赤い宿屋』(岩波文庫、…

佐伯一麦と高田馬場

夏目漱石の妻は、漱石の癇の虫を治す虫封じの護符をもらいに西早稲田の穴八幡宮に行っていたという。佐伯一麦は、それにあやかったわけではなかったが、第一子の夜泣きやぐずりに悩まされていた時、この穴八幡宮に詣でたらしい。 というのも、上京した後に勤…

時間泥棒

ミヒャエル・エンデ『モモ』は、いつ読んだかもう忘れてしまった。時間泥棒というのが何だったかはもちろん、内容もほぼ忘れてしまっている。自宅には大島かおり訳の大きな岩波少年少女の本がある。 ところで、時間泥棒は実在する。相手の都合を考えず自分の…

「雛の棲家」と「雛の宿」

佐伯一麦の「雛の棲家」は、「海燕」1987年6月号に発表された短篇で、同名の単行本(福武書店、1987年)に収録された。宮城県随一の進学校に通いながら大学進学の道を捨てた童貞の主人公が、自身が思いを寄せる、誰の子か分からない子供を出産した女を助け、…

『君が異端だった頃』スピンオフ

「青春と読書」2019年8月号に、島田雅彦「『君が異端だった頃』スピンオフ」が掲載されている。これは、『君が異端だった頃』(集英社、2019年)の刊行に合わせたものと思われる島田のエッセイで、自身の趣味嗜好や生活信条について体験談とともに述べたもの…

「2020イタリア・ボローニャ国際絵本原画展」を見た。

板橋区立美術館で開催中の「2020イタリア・ボローニャ国際絵本原画展」を見た。 これは区立美術館で毎年開催されている、板橋区民にとってはお馴染みの展覧会で、児童書専門の見本市「ボローニャ・チルドレンズ・ブックフェア」が開催する絵本原画コンクール…

面白くてためになる

歴史の教育番組を見ていて、「面白くてためになる話」というコーナーがあった。歴史の深い考察を通して、現代にも通じる日本人の精神を知ることができる話、というほどの意味だったが、ああ、それはつまり深いテーマを含んだストーリーということだな、と思…

中学受験

「AERA with Kids」2019春号(増大号)の、算数教育家・中学受験専門カウンセラー・安浪京子の「中学受験レボリューション」は、育児・教育ジャーナリスト・おおたとしまさとの対談である。テーマは「わが家はどうする?改めて考えたい中学受験するメリット…

佐伯一麦と太宰治

佐伯一麦『からっぽを充たす』(日本経済新聞出版社、2009年)の「四十の坂」には、佐伯がそれまでの生涯で太宰を集中的に読んだ時期が三度あったと書いてある。一度目は中高生の頃で、二度目は三十代の初め頃である。三十代の頃の時、佐伯は「自分のこれま…

佐伯一麦「雛の棲家」

佐伯一麦「雛の棲家」を読んでいるのだが、いい。これは佐伯が27歳の頃の作品だが、佐伯の小説はやはり二十代から三十代にかけてのものが好きだ。どうしてかというと、仕事と生活、人間関係が苛酷な時期に書かれた私小説だからだろう。 「雛の棲家」は、「宮…

物書きの世界

出版不況の中、作家の仕事の減少と収入の低下は著しいようだ。わりと好きな作家がある時、今月は初めて収入がゼロになったとツイートしていた。その言い方は諦めの境地にでも達しているようで、もはや新しいことに挑戦する気力も失っているような感じが伝わ…

能書きより作品

Twitterを見ていると、政治的な意見とか藝術観や作品評ばかりを飽きもせずつらつらと書き連ねている人びとがいて、あぁこの人暇なんだなぁとつねづね思う。 あるいは、メールなどで近況を交換するだけならいいのに、そこにも政治的意見や藝術に関する考えを…

安藤忠雄『仕事をつくる 私の履歴書』

安藤忠雄『仕事をつくる 私の履歴書』(日本経済新聞出版社、2012年)を読んだ。私は建築はぜんぜん詳しくないが興味はあって、街中の建物を見るのも好きである。 本書は著者の自伝だが、著者自身の仕事観や生き方や考え方が述べられており刺激的だった。プ…